いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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海外サッカー初観戦の思い出

大学4年生のとき、夏を過ぎてからたまたま遊びに来ていた弟の友人から
海外旅行でアメリカに行ったときのことを聞いた。
当時、
海外旅行と言えば、まだまだパッケージツアーの添乗員付きの
ものが一般的であり、言葉もロクにしゃべれない自分にとっても、
海外旅行とはそういうものだと思っていた。
それが、その友人の話しでは、アメリカに添乗員どころか宿も予約せずに
一人で全米を1ヶ月間バス旅行したというのだ。
なぜ、そのようなことができのか尋ねたところ、当時、まだ発刊されて
間もなかったと思われる「地球の歩き方」を見て行ったのだという。
自分は卒業旅行でヨーロッパにでも行くことを考えていることを告げると、
地球の歩き方」を見ればなんでも載ってるから、
こわいことはないということだった。このときは半信半疑だった。

その後、ドラマで陣内孝則と時藤三郎が主演だった「ライスカレー」なるドラマが放送された。
言葉もできない二人がカナダへ行って、迎えにくるはずの
北島三郎に手違いで合えず、珍道中を繰り広げるというシーンがあった。
これを見て「旅では失敗やハプニングもまた思い出、何とかなるさ。」と
考えるようになった。
そして地球の歩き方を買って読んでみると、
「1日5,000円でヨーロッパを旅する」
なんていうコピーがあり、そんなに安いのだろうか?と疑問もあった。
海外旅行といえば金持ちのするものだと思っていたから、ホテルも
小奇麗で値段の高いものと思い込んでいた。

長くなりそうなので、
旅立つ前段は別途書くことにして、肝心のサッカー観戦について書くことにする。

いろいろあったが、結局一人で自由旅行として宿も予約せずに旅立っていた。
初めての海外旅行で一人で宿も予約していかなかったのは
正直、こわいところもあったし、不安でしょうがなかった。
旅程中、サッカー観戦計画は2試合と狙いをつけていた。
今のようにサッカーの情報があふれている時代ではなかったので
当時のサッカー雑誌「イレブン」の編集部に電話をして、
試合日程を確認した。すると、
ミラノでのミランダービーとケルンでの「1FCケルンvsバイエルン
がちょうどいい日程だった。
当時は今のようにミランダービーがいいカードなんて知らなかった。
相手はどこでもよかったが、当時インテルに所属していた
カール・ハインツ・ルンメニゲ
を見たいからだった。
そのミランダービーの当日の朝、僕はまだ、モナコのホテルにいた。
それから朝早い列車でミラノへ向かった。
結構乗り継いだような記憶がある。
今のように高速列車がない時代のことである。
ミラノの中央駅に着いたのは試合の2時間くらい前だろうか?
荷物を置き、スタジアムに行こうとしたが、スタジアムの場所がわからない。
インフォメーションで聞いたと思うが、乗り換えがあるとのことで
よくわからない。もしかしたら日曜日だったので休みだったかもしれない)
とにかくドゥオモ広場のある駅で乗り換えのようだった。
それから、乗り換えて行こうとしたところあまり人通りが少なく
キチンと下車駅を教えてくれる人さえつかまえられなかった。
そうこうしてまごまごしているうち時間が経ってしまい、試合時間がきてしまった。
ドゥオモ広場ではその試合をラジオで聞いている若者もいる。
もう、お腹も空いてつらくて、どうにも右も左もわからず途方に暮れていた。
そのときマクドナルドに入っても注文をとるだけでも一苦労だった。
当時は五島の福江から福岡に移り住んではいたもののあまり都会的な
ことになれていなかったからだ。
結局、試合は観れずにあきらめて中央駅に戻って、荷物をコインロッカーから
出して(その荷物が大きな登山用リュックとショルダーバッグとウエストポーチ)
で思いの何の)宿を探そうと思った。
地球の歩き方に載っているユースホステルに行こうとしたけど全然生き方が
わからない。道行く人に片っ端から声を掛けて最後には学生さんだろうか?
全然違う方向だったにもかかわらず、ドゥオモ広場の駅まで地下鉄で連れて
行ってくれて、その後、乗換えでたしか「ロット」という駅まで連れて行って
くれた。その人は僕をロットの駅まで連れて行ってくれたあと、また、
中央駅まで戻ってから、自分の目的地まで行くのだと行っていた。
本当にありがたかった。

そのドゥオモ駅からロットに行く途中地下鉄からACミランのサポーター
が大挙して歌を歌っていたので、試合も終わってACミランが勝ったのが
わかった。そして、なんと、ユースホステルについてみると、ユースホルテルの
まさに隣がジュゼッペ・メアッツァ・スタジアムサンシーロ)だったのである。
ユースホステルには日本人も何人か泊っていて今日の試合を観たのだと言う。
言葉はよくわからないが、イングランド人と日本人でサッカー談義の夜だった
記憶がある。
というわけで、海外サッカー初観戦はものの見事に大失敗となった。

その数日後、「1FCケルンvsバイエルン」の試合当日、僕はアムステルダムにいた。
また、朝早く起きてケルンをめざしたが、今回は少し時間に余裕があった。
おみやげの香水を買ったり、
ケルン大聖堂を少し見学して昼飯をたべてから、ツーリストインフォメーションで
スタジアムの場所を聞いたところ、トラム(路面電車)に乗るのだという。
乗り場に行くと、サポーターらしき人々がいたので一緒に乗った。
これが込むの何の、ギュウギュウ詰めでサンフランシスコの路面電車のように
外側の突起物にしがみついているだけの人も結構いた。
しばらくして、ミュンゲルス・ドルファー・スタジアムに着いた。

このスタジアム、今年のW杯では改築されて陸上トラックがなくなり
「ラインエネルギー・シュタディオン」として生まれ変わった。
あの当時、陸上トラックはあったものの、こんな巨大スタジアムで
すべての観客席が屋根で覆われていて、こんなスタジアムが日本にも
あればなあという思いだった。
今は陸上トラック付きなんていいとは思わないけどね。
今回、機会があれば当時との違いを見てみたい。

スタジアム前に着いたけれどチケットを持ってないので、
ダフ屋から買おうと思ってダフ屋はいないかとキョロキョロしていたところ
不意に「日本人ですか?」と日本人の若者に声を掛けられた。
「一緒に観ませんか?」ということだった。
心細かったので、非常にありがたかった。
そしてお互いが「チケット持ってる?」「持ってない」ということで
ダフ屋探してるんだけど。。。と言うと、
あっちにチケット売り場のようなものがあったよ。
ということで、行ってみると、当日券を売っているようだった。
どこの席かもわからないけど、とりあえず2枚ということで買った。
格安で購入できてびっくりした。1000円もしなかったかも知れない。

そこで、その声を掛けてきた青年の話しでは、とにかく、どちらの
応援席か確認して、反対側の応援は絶対にしちゃだめだと念を押された。
つい先日、ナポリでのスタジオ・サンパオロで試合を観ていて
知らないうちにその席の周辺のサポーターを逆側のプレーで歓声を
あげたので周りのサポーターに袋叩きにあって、もう、死ぬかと思うくらい
の襲撃にあったのだと言う。そのときは、自動小銃を持った警備員が
2、3人助けに来てくれ、銃で周りのサポーターを追い払ってくれて
一命を取り留めたのらしい。

さあ、チケットに書かれた番号の通りの席に着くと、そこは
アウェイのバイエルン側のゴール裏真っ只中であり、ほんの少数の
バイエルンサポーターなのだけれど、熱狂的なサポーターのど真ん中だった。
これは、変はリアクションすると危ないと思った。

実は、この試合を観戦する前まで、サッカーの試合のスタジアム観戦は
1回しか経験なかった。離島の片田舎から、やっと福岡に出ていたころ
だったので仕方ない。
でも、その1回というのが、あの伝説のプラティニの幻のゴールがあった
トヨタカップユベントスvsアルヘンチノス・ジュニアーズ」
だったのだ。
あの試合、トヨタカップ史上一番の好ゲームだったと思う。
東京まで出て行って、早朝、当日券に並び、最後の2枚目という幸運で
のスタジアム発生観戦だったのだ。
もう、試合中はプラティニやらラウドルップ、カブリーニのプレーに
興奮しっぱなしだった。テレビで観ているとあまりわからないが、
プラティニがボールをもったときのチーム全体の動きやプラティニ自身の
視野の広さとその正確なロングパスには驚いたものだ。

ケルンの試合に話しを戻そう。
試合前からサポーター同士のすごい掛け声、それとサポーターがごつくて
大きい連中ばかりなのに圧倒された。
とにかく、すごい迫力だった。

実際、ヨーロッパのリーグ戦の好カードやチャンピオンズリーグの試合の
テンションは最近のW杯のほとんどの試合よりもすごいものがある。
最近のW杯はチケットの売り方の影響でサポーターの凄みを感じることが
少なくなってきているのだ。

当時ケルンのアイドルはリトバルスキーだったのであるが、この年のみ
フランスリーグへ移籍していなかった。
バイエルンにはマテウスとかいたはずだが、そのときの声援は
ディーター・ヘーネスに対してのものだった。
このヘーネスは西ドイツ代表だったのだが、ヘディング以外見るべきところがない。
あまり好きな選手ではなかったが、周りに合わせて
「ヘーーーネス!」
と応援するしかなかった。
得点は、先にケルンが先制した。
その途端、スタジアム中がものすぎ歓声で揺れたよな気がした。
本当にびっくりするようなさわぎだった。

そのときは、僕の周りは本当にお通夜状態で静まりかえっていた。
これがホーム・アンド・アウェイかと思った。
その後、バイエルンが1点を返した。
今度は数は少ないが、周りは、蜂の巣をつついたような大騒ぎだ!
僕も近くにいたごっついドイツ人の青年たちと抱き合って喜んだ。
結局、試合は1-1の引き分けだったように記憶している。

試合後、なんとなく日本人が集まってきて6、7人になっただろうか。
どうやってケルン中央駅まで帰ろうかということになった。
たしかミュンヘンに住んでいるという商社マンの人が歩いてもたいした
ことないということから、みんなで話しをしながら駅まで歩いた。
途中は街路樹がきれいに立ち並ぶきれいな町並みだったように思う。
1時間はかからなかったと思うけど、結構時間がかかったような気もする。
非常にあいまいな感覚であるが、新潟のビッグ・スワンから新潟駅よりは
若干近かったんじゃないだろうか。

ともあれ、これが海外サッカー初観戦であった。