いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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イタリアW杯1次予選アウェイ香港戦観戦ツアー


1989年5月、僕は、もうすでに上京して社会人となっており、
若さ故、何かをしたいエネルギーに満ち溢れていた。
そんな頃だった。
(今回は、大好きな「北の国から」の純君風の語りで始めてみました。)

イタリアW杯の1次予選のアウェイ戦、香港との試合の
観戦ツアーがサッカー雑誌に載っていた。
確か、3泊4日で10万円のツアーだったと思う。
今ならば、個人でもっと安くいけるだろうけど、観戦チケット込みのツアーで
同じように日本代表をサポートする仲間と行くのは楽しいだろうと思い会社の先輩と
一緒に参加することにした。
その当時、サッカーはマイナースポーツだったので、同じようにサッカー
に熱い思いを寄せる仲間を探すのが大変な時代であり。。。
どんな仲間がいるか楽しみだった。

ツアーは早朝発の便だったので、前日夜から上野のカプセルホテルに泊ったような気がする。
香港に着いて、バスに乗るために外に出ると、ムワっとするすごい湿気とともにものすごい暑さが襲ってきた。
もう、サウナに入ったかのようだった。こんなところで、3日間過ごせるのかと思った。
5月下旬と言えば、日本人の体はまだ暑さに慣れていない時期だ。
瞬間的に、「こんなところで人間が暮らしているのが不思議」なくらい暑いというのが第一印象だった。

着いた日は、まだ昼だったので、予約しておいたオプショナルツアーで
タイガーバームガーデンなどに行き、夜にはビクトリアピークに夜景を観に行った。
有名な夜景は、これまでにいろいろ観てきた。
長崎。函館。ナポリ。神戸。福岡。東京。パリ。ロンドン。羅臼。。。
函館は函館山からの「100万ドルの夜景」、
長崎は稲佐山からの「鶴の港、1000万ドルの夜景」、
ナポリは「ナポリを観て死ね」、
というような夜景の有名地である。
印象は人によってさまざまだろうし、観に行ったときの年齢や経験値、天候、時代、
観に行ったときの精神状態、などによって違ってくるころだろう。
僕の場合、函館の夜景が圧巻の印象だった!
とにかく、光の密度が他の夜景と段違いのような印象が残っている。
初めて観たときは、周りにいる他の観光客も「ワーー」という声を上げるほどなのだから。。。

……夜景で思い出しことがある。
上に書いた「羅臼」の夜景のことだ。
ここは、北海道の知床半島の東側の漁村であり、「北の国から」でもロケ地になって
いたので、ご存知の方も多いかもしれない。
学生時代の北海道一周旅行で羅臼ユースホステルに泊ったとき、
そこのヘルパーさんが無料で企画した「羅臼の夜景ツアー」(単に散歩するだけなのだが。。。)
なるものがあり、それに参加して小高い裏山に少し登って夜景を観た。
ヘルパーさんは、「これが羅臼の300円の夜景」などと言って笑わせていた。
夜景自体は、小さな漁村のポツンポツンとした光なのだけれど、必見は、
なんといっても、北方領土なのだ。
国後、択捉、波浮舞、色丹、の北方領土が今でも領土問題として残っているけれど
南の方で暮らしていると普段はあまり考えることがない。
うっすらと島の影と建物の光が見えた。
夜は漁船の漁火も見える。そして、何より、当時(ロシアではなくソビエト連邦)、
ソ連の夜間警備のために設置された、北方領土からのサーチライト(と言うんだろうか)
の強い光が羅臼にまで届くのである。
光は灯台のように回っているから、どこにいてもその光に照らされてしまう。
今はどうなのだろう?
そこで、日常茶飯事のように、日本の領海侵犯(日本の領海という解釈であればそうではないが)
した漁船とソ連警備艇とのイタチゴッコが行われているらしい。
実際、この付近で多くの漁獲高をあげている漁船はそのような領海侵犯をしているとのことだから、
なにか、世の中、むずかしいなーと考えさせられた。

香港に話しを戻そう。
ツアー初日はそのようにして、無事終えるはずだった。
しかし、ここで事件発生。同行していた先輩が突如、ホテルで倒れてしまったのだ。
幸いに添乗員付きのツアー(と言っても現地香港人係員)だったので、
申告したら医者をホテルまで呼んでくれた。
すると、病名はと尋ねると「眼膜炎」だという。日本名の病名はいまだわからない。
先輩は出発間際まで仕事に追われて、あまりスッキリしないまま会社をでたような
感じで、上司にも引け目を感じたまま来たようなところがあったから心身ともに
疲れがたまっていたのだろう。
また、運悪く、短期間の旅行だと思ったから保険に入らずにきたものだから
結構な金額(それでも2万円は取られなかったと思う)請求された。
お金は僕が建替えておいて、次の日に街中で初めてキャシングして補充した。
しかし、注射をしてもらい薬をもらって飲むと次の日にはすっかり元気になった。
中国(といっても香港)の薬はすごい!
でも、それは、これから起こる大きな事件の前振りでしかなかった……。

夜になってわかったのは、天気予報で台風が近づいているとのことだった。

次の日は、まず、足りなくなったお金をキャッシングすることだった。
そこで街に出て銀行のATMらしい機械にクレジットカードを入れてみるが
表示が中国語なのでさっぱりわからない。
通常は、暗証番号→金額ぐらいでいいのだろうけどうまくいかない。
あたりの若者にも聞くが、お金がでてこない。
銀行でキャッシングしたいと申し出てみると、このクレジットカードは
**バンクでキャッシングできるという。
その場所を教えてもらって、わけもわからぬまま操作すると、
やっとお金が出てきた。ガッツポーズ!

その日は、偽者時計などのショッピングをした。
通りで声を掛けられ、行ってみると、ビルの一室に連れて行かれた。
結構、怖い雰囲気だった。
そこで、偽者時計をいろいろ見せてもらった。
たしか1つ買ったと思う。

その日は昼ごろから台風で天候が荒れに荒れて、宿に戻った。
ツアーに参加しているみんなも同じようにホテルから出られなくなっていたので
1部屋に集まって昼からサッカー談義が始まった。
そうすると、みんなすごいこだわりのサッカーフリークが集まってきており
自分の思い出の試合やシーンなど大変盛り上がった。
10年くらい前の1シーンやパスなどみんな知っているのだ。
そのときの話しは面白くてしょうがなかった。

ツアーの参加者の中で見覚えのある人がいた。
ソウル五輪最終予選の最終戦、引き分けでも出場が決まるはずだった、
あの雨の中の中国戦で僕のすぐ前で熱狂的に大きな日の丸を振って応援していた人だった。
そう言って声を掛けると、やっぱりそうだった。
あの時代には大抵、集まるところには同じような顔が集まる時代だった。
このとき同じツアーで知り合った仲間は以後、東京での生活の基盤になっている。

夕方になって、台風がすごくなってきた。

(続きは別途書くことにする)