いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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あれから12年…ジョホールバルの歓喜

時の経つのは早いものだ。
同じ季節、同じ状況になると思い出し、そう感じる。
まるでデジャブのようにそのときのことを思い出す。



今朝もそういうことを感じた朝だった。
昨夜から自分の部屋に篭りアジアカップ「香港vs日本」の録画した試合を観ていた。

その後、浅い眠りののまま朝4:50からの
南アフリカW杯のプレーオフ生中継「フランスvsアイルランド」を観た。


冒頭、フランスの16年前のサンドニの悲劇のことを紹介していた。
1990年のアメリカW杯予選の最終戦のロスタイムにブルガリア
ゴールを割られW杯出場権を失ったという出来事のことだ。
それはちょうど日本でもあのドーハの悲劇のあった同じ頃のことだ。
ドーハの悲劇が10月28日、サンドニの悲劇が11月17日だった。


そういう日付を思い起こしていると、11月16日という日がよみがえってきた。
そう12年前の1997年11月16日のことだ。


僕は友人らと、マレーシアのジョホールバル、ラルキンスタジアムにいた。
フランスW杯アジア第3代表決定戦「日本vsイラン」戦が行われようとしていた。


4年前にドーハの悲劇を経験し、日本サッカーの悲願であるW杯出場が目の前まで来ていた。
試合は夜7時からというのに朝の10時ぐらいからトイレもないスタジアムの外に並び
11月というのに30度もある暑さの中で試合を待った。


最後はトイレ我慢大会になったもののスタジアムに入ると、日本から来た日本人2万人
でスタジアムは満員になった。マレーシアなのに日本のホームのような試合だった。


試合は稀に見るシーソーゲームの手に汗握る好試合となった。
1-0、1-1、1-2、逆転されたときはもうだめかと思った。
しかし、後半途中からイランの選手の動きがガタっと落ちた。
これは追いつけると感じた。
思ったとおり、城のヘディングで2-2に追いついた。
2-2という展開で延長戦に突入した。


強敵イランはコンディションが悪いのか動きが悪い。
そんなときイランの数少ないチャンスでアリ・ダエイがクロスに合わせた。

「やられた」

と思い心臓が凍りついた。
しかし、ボールはわずかにゴールの枠を外れていた。


直後の日本の攻撃。PK戦まで残り時間わずかだった。
中田がドリブルして左足でシュート。
GKのアベドザデが右にはじいたのがハッキリと見えた。
そこに岡野雅行がスライディングして押し込んだ。


すぐに線審(副審)を見た。
旗は上げておらず、日本のベンチからスタッフと選手が飛び出していった。



僕らのいるゴール裏もスタジアム全体も蜂の巣をつついたような換気の瞬間だった。
僕は放心状態となり何やら声にならない雄たけびをあげていた。
周りの日本人と抱き合ったり、近くで日本人を応援してくれていた少数の現地の
マレーシア人達と抱き合ったあと、グラウンドとスタンドとを隔てている金網によじ登って
雄たけびをあげていた。



少ししてそこにゴンとカズ(中山と三浦カズ)がやってきた。
わけのわからないもみくちゃな状況で僕は彼らと手を取り合った。


これがこの時期になると思い出す忘れられない瞬間です。

次はこんな瞬間が初夏に訪れることを願いつつ・・・