日本代表はプレトリアで美しい甘美な思い出を残して散った。
そう、それはこれまでのW杯で一番の散り方だったかもしれない。
とこかでサッカージャーナリストが言ってた。
「日本はどうせどこかで負けるのだからその負け方が問題なのだ。日本は過去3大会でまだ納得のいく敗戦をしてはいない」
のだと。
そういう意味ではある程度納得できた負け方ではなかったか?
このプレトリアでの戦いの後、地上波の生放送をしたTBSではゲストの中田英寿が持論を展開していた。
「100%の戦いをしていたのはパラグアイで余力を残していたのは日本だったと思います。デンマーク戦のようにサイドバックを上げて攻撃的に行ってれば早い時間に1点を取って勝っていたと思います。」
これを聞いていて、やはり中田英は攻撃が好きなんだなと思った。
前回のドイツ大会では中田英や高原などと宮本、福西などとの陣営に分かれてチームが真っ二つに割れていたという。
中田英などはディフェンスラインを押し上げて中盤をコンパクトにしたかったらしく、宮本たちは暑さと疲れのある状況を考慮してディフェンスラインを下げざるを得ないと主張したという。
オーストラリア戦でそれがひどくなり、第2戦目のクロアチア戦直前まで収集がつかなかったため、キャプテンであった宮本がジーコに監督としてハッキリと指示を出してくれるようたのんだという。
選手の自主性に任せていたジーコは悲しかったらしいが、結局は宮本らの主張のように極端にはディフェンスラインを上げない指示を出したらしい。
これに対して中田英は今でも納得していないと思われる。
極力ディフェンシブな戦いが嫌いなのだろう。
中田英には過去にもこういう似たような問題があった。
1996年のアトランタ五輪では、第1戦目のブラジルから金星を奪ったことで、監督の西野さんは強敵ナイジェリア(結局この大会で優勝した)に対しデフェンシブに慎重に戦って引き分けようとした。ところがピッチ上でこのナイジェリアには勝てると感じた中田英はハーフタイムにディフェンスラインの選手に上がるよう要求した。
それで統制が崩れ、2失点して敗戦。
このとき西野監督は自分が監督をやっている限り中田英をピッチに出すことはないと決断したそうだ。
中田英と日本代表の成績を考えてみる。
まず中田英がいていい結果が出た大会や試合。
アトランタ五輪予選、
フランスW杯最終予選、シドニー五輪、2001年コンフェデレーションズカップ、2002年日韓W杯
あたりだろうか?
中田英がいなかったときにいい結果が出た大会、試合。
1999年ワールドユース準優勝、2000年アジアカップレバノン大会優勝、2004年アジアカップ中国大会優勝
2010年W杯南アフリカ大会。
こういう結果を見ると中田英がいてもいなくても結果はあまり変わりはないことがわかる。
さて、今回のチームに中田英がいたと想定してみよう。
彼が今回の守備的な戦い方を受け入れたとは考えにくい。
するとどうなるか?
おそらくグループリーグで惨敗していたであろう。
中田はパラグアイ戦でデンマーク戦のように攻撃的に行けば点を取れたと思っているが、それでは逆にディフェンスの裏をつかれて2点ぐらい取られていたと思う。
デンマーク戦にしても、あの試合のシチュエーションはデンマークは引き分けではいけなかったということで裏が空いたから日本が攻めるスペースをもらえただけのことだ。
逆に日本が勝たなければいけなかったとしたら全く逆の展開になっていた可能性も高いのだ。
パラグアイ戦で巧妙な駆け引きでロースコアの僅少差の勝負に持ち込んだ見事な作戦に対して、いつもの日本の悪い癖で攻撃的でなければ悪いというようなニュアンスの発言をあの視聴率の高い番組内で言ったことが許せない。
しかし、今大会で日本人がチーム力が劣っていてもやり方次第では勝てるチャンスがあり、必ずしもいい内容の見ていて面白いサッカーをするだけが勝利への道筋ではないことを国民みんなで共有できたことが素晴らしい大会でした。