1998年フランスW杯アジア最終予選も第5節が終わり
各国の勝ち点は以下のようになっていた。
韓国………………12
UAE……………7
日本………………5
カザフスタン……2
ウズベキスタン…1
残り3戦の状況で1位突破は絶望的、なんとしても第三代表決定戦へ出るために
は2位のUAEを上回らなければならない。
まだ、UAEとの直接対決を残しているもののアウェイとはいえ
第1戦で6-3と勝っているウズベキスタンからは確実に勝ち点3を奪っておきたいところであった。
1997年10月11日(土)タシケントのパフタコールスタジアム。
この大事な試合の日、僕は友人の結婚式のため大阪に来ていた。
そして、その結婚式の夜の2次会に出席した。
ちょうどその同じ時間に「ウズベキスタンvs日本」戦が行われているはずであり、
友人には悪いが、早く2次会が終わらないかやきもきしていた。
そして、やっと2次会が終わった。
任意に3次会があるようだったが、
「サッカーを見たいので」
と言ってパスした。
そのとき、
「どうせ、もうダメでしょ」
なんていう嫌味を言われたが
そんなことは無視して急いで宿泊先のホテルへ戻った。
ホテルの部屋に戻り、急いでテレビのスイッチを点けた。
すると、なんということだ。
日本が0-1で負けているではないか?
時間はすでに後半20分ごろだっただろうか?
この試合で負けてしまえば絶対絶命。
残りの時間を手に汗握って見ていた。
そして、最後の数分では秋田を前線に上げて捨て身の猛攻を開始した。
しかし、得点が生まれる気配はなく、日本が負けてしまった場合のことを
頭の中で残りの試合で計算し始めた。
この日はUAEは試合はなく、次の節には逆に日本は試合がなく
UAEはカザフスタンとのアウェー。
その後は日本とUAEとの直接対決。
その後にお互いに2試合を残すことになっています。
そうすると、UAEがカザフスタンに時節に勝ってしまえば勝ち点10
日本はこの日負けてしまえば勝ち点5のまま。
直接対決に勝っても自力での2位がなくなってしまう。
これは、予選敗退を覚悟しなければならないと感じ始めていた。
ドーハの悲劇から4年。
待ちに待ったこの予選でまたも苦渋を味会わねばならないのか?
と思っていた試合終了直前。
井原が闇雲に蹴った前線へのボールをロペスが落とし、カズが詰める。
しかし、カズは触ることはできない。
が、GKも前に出てきてカズの動きにつられたのか?
ボールはゴールの中へ!
ゴーーーール!
敗戦間際の起死回生の同点ゴールだ。
試合はこのままタイムアップ。
この試合は勝たなければいけなかった試合だった。
しかし、カザフスタン戦では終了間際に追いつかれ、この日は追いついた。
岡田監督は「これで、ヒョットすると、するかな」などと言っていた。
確かに、これは勇気をもたらす1点だった。
翌週、UAEがカザフスタンに0-3で敗れたというニュースが舞い込んだ。