いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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新大陸アメリカを目指す戦いが始まった

この書庫、前回の記事からもう4年近く更新していなかったようです。
沈黙を破って再開したいと思います。

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アメリカW杯を目指す戦いは1993年4月8日(木)神戸ユニバーシアード記念競技場で始まることになっていた。

この頃の日本代表は前年に初の外国人監督であるハンス・オフトをオランダから迎え、
本気でワールドカップの初出場を目指していた。

このオフト招聘は当時のサッカー協会技術委員長であった川淵三郎氏が提案したものだった。
その理由は、当時の日本代表に既にカズやラモスなどのアクの強いプロ選手が存在していたにもかかわらず監督は日本リーグ上がりのアマチュアが勤めているという状況であり、これらの集団をまとめて強くするためには外国からプロの監督を連れて来るしかないという思いから実現したものだった。


その効果はすぐに表われ、前年には日本代表初の国際大会優勝となったダイナスティカップを制し、
その直後に地元広島で開催されたアジアカップでは苦戦をしながらも優勝を勝ち取っていた。



さらに、この年は日本サッカーの悲願の1つ、リーグのプロ化(Jリーグ)が開幕されようとしていた。


そんな状況で迎えた初戦だった。

当時のメンバーは以下の通り。

GK1松永成立
DF4堀池 巧
DF5柱谷哲二
DF7井原正巳
DF6都並敏史
MF15吉田光範
MF8福田正博
MF10ラモス瑠偉
MF17森保 一
FW20高木琢也
FW11三浦知良

前年から代表でも顕著な活躍をし始めた福田にカズ、ラモスを絡めた攻撃と
左サイドの都並のオーバーラップと高木の高さが武器のチームだった。

相手のタイと言えば、ロサンゼルス五輪予選でピアポンにやられ2-5と敗れた苦い記憶がある。
しかし、自力では日本が上、どんな内容で初戦を勝ち抜くかワクワクする気持ちで試合が始まった。

立ち上がりから選手が固くなっているのがわかった。
押しながらも膠着状態が続く中で日本のエース、カズが先制点を奪った。
しかし、追加点は奪えず1-0のまま終了。

まずまずの船出であった。