いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

Yahoo!ブログで書いていた「水平線の先にある夢」の続きをこちらで書いています。2018以前のコメント付き過去記事はFC2ブログにあります。https://w2002moni.blog.fc2.com/

フェリー旅の思い出に浸り、そして函館が見えた!(2日目-7)




久しぶりにフェリーに乗っていてかなり気分が良かった。
子供の頃はいつも五島福江-長崎間のフェリーに乗っていて、
いつもイヤでしょうがなかった。
揺れるし、酔ってしまいいつも吐いていた。
列車の旅に憧れていたものだ。

それが、最近はフェリーのゆったりした旅がここちよくなっている。
のんびりできるし、あまり揺れないことが多いので酔うこともない。

それで、過去に乗ったフェリーというか遊覧船ではない移動のための大型客船のことを思い出していた。

五島福江←→長崎
有明フェリー 多比良←→長洲
三角島原フェリー 三角⇒島原
青函連絡船 青森←→函館
ハートランドフェリー 稚内←→香深(礼文島)
カレイ(フランス)⇒ドーバー(イギリス)
ヘルシンボリスウェーデン)⇒ヘルシンボアー(デンマーク)
ロービュ(デンマーク)⇒トップガルテン(ドイツ)
近海郵船カーフェリー ブルーゼファー 東京晴海⇒釧路
東京湾フェリー 金谷⇒久里浜

それぞれ、いろいろな思い出があり、ひとことでは語りつくせない。

イメージ 1

何十回も往復した福江-長崎間、フェリー五島のうどんは美味しかったなぁ!


イメージ 2

有明フェリーでは福岡県内のクロレラ工場を見学した帰りのバスでオシッコを我慢していて、
最後は我慢できなくて運転手さんにバスを止めてもらったり。小学生だったけど・・・


イメージ 3イメージ 4

三角島原フェリーでは甲板で夕陽を見ながら、頭の中でベイ・シティ・ローラーズ
「ハートで歌おう」が流れていた。


イメージ 5

青函連絡船青函トンネルができる直前の最後のころだった。
夜行急行八甲田で窮屈だったところでちょっと休めたのもつかの間、
函館に着くと、みんなが特急の自由席を確保しようと船から出ると全速力で
列車を目指して競争した。


イメージ 6

礼文島に行ったときのフェリーでは水谷豊の熱中時代の第一話の冒頭シーンを思い出しながら
稚内を出て、礼文島に着くと、桃岩ユースホステルのヘルパーさんが迎えに来ていて、
みんなで男女で手をつないでユースまで歩かされ、
帰りは歌を歌いながら見送ってくれた。


イメージ 7

ドーバー海峡を渡ったときのフェリーは夜行で深夜にイギリスのドーバーに着くと
入国審査で荷物を床に置けと言われ、ドーベルマンが臭いをかいでチェックされ、
その後の質問では他の大勢の日本人が同じパターンで同じように答えようと思っていたら、
僕のときだけ全く違う訳のわからない質問をされ、聞き取れないので
しばらくして「もう、いけ!」と言われて入国できた。


イメージ 8イメージ 9
スウェーデンからデンマークへのフェリーとデンマークからドイツへ渡るフェリーでは
列車がそのままフェリーに乗って移動したりして、今にして思えば、よく訳のわからない
システムのフェリーに乗って移動したなと思う。


イメージ 10

東京晴海から釧路へ行ったときの豪華客船ブルーゼファーでは知り合いのツテで2泊3日の船内を
ファーストツイン(1等洋室)…2名用個室(窓有り)シャワー・トイレ付きの部屋で
過ごしてリッチでセレブな気分を味わった。


イメージ 11

東京湾フェリーでは日帰りでも優雅な旅行気分に浸れた。

そんな思い出に浸っていたら、函館山が見えてきた。


イメージ 12


いよいよ北海道上陸である。