いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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シュガーローフの戦い

那覇に宿泊した日、飛行機に乗せるため、
子猫用のペットケージに取り付ける水飲み用の器具と餌を買うためにペットショップに行った。

ホテルの人が調べてくれたペットショップはPET BOXというところで
車で5分ぐらいのところだという。

地図で場所を確認してみると、ゆいレールおもろまち駅から徒歩で行けるようである。
すでに車を駐車場から出し入れするのはおっくうに感じていたから、息子とゆいレール
いくことにした。

牧志駅まで徒歩5分程度、そこからゆいレールで2駅、
おもろまち駅からは徒歩10分ぐらいだろうか?

このおもろまち駅というところは、太平洋戦争の沖縄戦で最も激戦であった
シュガーローフの戦いがあったところである。

うちの義父はここで戦ったそうで、以前、沖縄に来た時もここに来ていた。
そのシューガーローフは今は給水タンクが建っていて、そこが激戦地であることは
わかりにくいが、碑文が設置されていることで激戦のしるしを残している。

日米双方が1週間にわたり激戦を繰り広げ、双方で約5000人が戦死したらしい。

ここで義父は負傷したため後方待機となり、最後には20人ほどになったことで
首里の本部に撤退したそうだ。
すると、そこはもう本隊は南部の摩文仁の方に移動しており、もぬけの殻だったそうだ。

それから南部へ移動する間に米軍との遭遇などで20名ぐらいいた仲間が5、6名ほどに
減ったそうである。
それからは、南部の森の中へ分け入ってゲリラ戦を展開することになったらしい。

沖縄は温暖であるがために、雨がよく降り、水たまりなどがあり、水には困らなかったそうだ。
また、畑などには収穫されなかったイモや野菜などがあり、食べ物にも困らなかったそうだ。

南部の方に移動したときにはすでに沖縄の民間人は米軍に捕虜として連行されたあと
だったらしく、すでに住民はいなかったという。
それで6月から9月まで南部をさまよっていたらしい。
9月または10月になるまで日本の敗戦は知らなかったそうだ。

今のおもろまち付近は那覇新都心と言われているらしく、
大型店、大型駐車場がいくつもあり(うちの近くよりも便利)買い物はかなり便利な場所になっていた。

場所と徒歩での現在地をGoogle mapで確認しながら行くと、PET BOXは見つかった。
目的のものも買えておもろまちの駅に戻る途中、昔、わしたショップで見たことがある沖縄戦
の漫画がないか確認したかったのでTUTAYAに寄った。

目的のものはなかったが、帰ろうとしたらゲリラ豪雨が降ってきた。
1時間ほど待っただろうか?
雨は夜9時ごろまで降るような情報がスマートフォンの雨雲レーダーからわかったので
どうしようかと思っていた。

僕は折りたたみ傘を持っていたのだが、息子は最初持っていないと言ったので、
ずっと止むのを待っていたのだが、止みそうにないので僕の傘を指して隣のショッピングセンター
で傘を買ってこいと言ったところ、息子のウエストポーチから傘が出てきた。

まだ雨は降っていたので二人で傘を指して隣のDuty Freeからおもろまちの駅の方へ移動した。
ほんの2、3分だったが、ちょうど駅につくころはだいぶ雨は弱まっていた。

そして、牧志の駅に着いたときには雨は止んでいた。