いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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葬儀場に缶詰・・・突然の育ての母の訃報3

線香をあげてからは、当面の予定を親族と相談しました。

一応、急ではあったものの最初の2泊分は一泊3000円の安宿を予約していた。
3泊目は友人のうちに泊めてもらうことになっていた。

しかし、この安置所に誰かいる必要があり、2階は宿泊施設になっているらしいので、
予約している宿はキャンセルして(直前キャンセルしてもキャンセル料を請求されないところが田舎のいいところ)
ここの2階に2泊することにしました。

それで、2階に荷物を置きに行ったときに、なぜか喪服用のネクタイが入っていません。
家を出るときに確認したはずなのになぜ?という感じでした。
どうやらベルトも忘れたようでしたが、これはまあ無くてもなんとかなると思いました。

昼食も食べずにここ(葬儀場)へ来たので、何か食べたかったですが、
誰か来た時にここに誰もいなくなるのはよくないということで、従妹にお弁当のようなものを買ってきてもらいました。
従妹によるとネクタイはおじさんのが余っているそうで借りることにしました。

しばらくすると喪主の家族(少し遠い親戚)がやってきました。
そのうちの一人は小学校時代の同級生なので、まったくの他人行儀なことはないのだが、
なにせ何年もあまり交流がないし、会ったことのない家族もいるのでどのように接すればいいか
なかなかとまどいます。

小学校時代の話しはあまりせず、浪人時代に同じ予備校に通っていたときのこと、
僕は東京に住んでてもスカイツリーには行ったことないが、福江に住んでいる側は2回も行ってることなどが
話題だったことは覚えています。

スケジュールを葬儀場の方と相談していたようでしたが、だいたい決まったようです。
友引を避けるとかいろいろあるようで、
翌日(5/6木曜日 友引)10:00ぐらいから告別式というのか通夜というのかどうかわからないけれど、
何か式があり、
翌々日(7/7土曜日 仏滅)10:00ぐらいから葬式となり、その後火葬場へ移動。
最後にはまた葬儀場へ戻ってくるというスケジュールのようでした。

しばらく親戚と話していたら、親戚家族は他の用事で帰って行きました。
福岡から来たおじさんと2人になり、ずっと近況などについて世間話をしていました。
まったりした時間でした。

ときどき線香が絶えないように線香をあげるだけで、時間が流れていきます。
僕は福岡空港を出発するときからスマホで出るようになった不具合のメッセージの原因を調べていたりしましたが、なかなかわかりませんでした。
メッセージが出るだけで、使えないわけではないので助かりましたが、かなり面倒でした。
何かの操作をするときはすべての画面遷移のときにメッセージが出てきて、それを消してからでないと
捜査ができなくなっていました。

かなりまったりした時間だったので、自分が癌の手術をしたこと、今、長距離通勤でかなりきついことなどを
話したりしていました。
冷蔵庫には飲み物がたくさん入っていたので飲み物には困りませんでした。

大村に住んでいる弟、東京に住んでいる従妹とおばさんは翌日に来るということでした。

(つづく)