シャワーを浴びて2階に寝ました。
次の日、10時から告別式(通夜?)がありましたが、そこでは親戚のかつての同級生と一緒に受付をしました。
今回、新聞にも訃報を載せてもらうようでしたが、葬儀の前日が新聞の休刊日に当たるとのことで、
明日の葬儀もあまり人は集まらないのではないかという予想でした。
この日の式もどういうことをするのかと思いましたが、お焼香をして、普通の葬儀とあまり変わらないような感じでした。
葬儀よりは簡素に終わった感じでしょうか?
昨日の打ち合わせ時に花はいくらのセットを用意するのかとかいろいろと段取りがありましたが、
最近は葬儀屋さんがいろいろ教えてくれるので、とまどうことはないようです。
しかし、葬儀にも結構お金がかかることはわかりました。
その式が終わってからもずっとその葬儀場にいて昼食もまた買ってきてもらったものを食べました。
午後には弟が大村から飛行機で来ることになっていました。
すでに飛び立ったことはネットを見てわかっていましたが、
結局、着陸する際、濃霧で旋回を続けたあげく、着陸を諦めて大村に戻ったとの連絡がありました。
仕方がないので大村空港から長崎港まで移動して夜のフェリーで来ることに切り替えたようです。
飛行機がプロペラ機で有視界飛行だと濃霧でこういうことがあるのでやっかいです。
従妹とおばさんの方も福岡で足止めになって、結局その日のうちに飛行機が飛ぶことはありませんでした。
翌日の葬儀に間に合うには福岡から夜行の船に乗るか、翌日の朝いちばんの飛行機が飛んでくれるかしかありませんでしたが、あすの飛行機に賭けたようです。
夜になって、弟がフェリーで到着しました。
レンタカーを借りて、この葬儀場まで来たようです。
やはり、旋回して戻るのはかなり辛かったようです。
いとことおばさんは、葬儀に間に合うかわからない状況でした。
(つづく)