いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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火葬場・・・突然の育ての母の訃報5

弟も同じように葬儀場の2Fに泊まりました。

そして次の日、朝の飛行機の運航状況を見ると、なんとか福岡からの飛行機は飛んだようでした。

それから、着陸もできたようで、葬儀の時間の少し前に従妹とおばさんが着きました。
東京から福岡経由なので結構な長旅なのだが、今の時代に飛行機で飛んでくるとそういう感じでもありません。

着いた従妹とおばさんは世話になっていることもあり、かなり感極まった感があったようでした。

本当は自分の方が一番近くにいた時間は長く、
小さい頃は育てられていたので
と呼んでいたから、本来なら自分が一番感極まってもおかしくないのですが、
どうしてもボーっとしてしまうだけで、感情が表にでることはありませんでした。
やはり、近年は長く離れて暮らしていた時間が長いからだと思います。

小さい頃を思い出せば、悲しくなるのですが、こういう葬儀のようなものは
忙しさなどで、そういう思いをしばらく封印してくれる効果もあるようです。

午前中に葬儀が始まりました。
葬儀場には何枚かの写真が飾られていました。
とても懐かしい写真でした。

やはり前日が新聞の休刊日と重なったこともあるのでしょうか?
そんなに参列者は多くはありませんでした。
しかし、そんなことはどうでもいいのです。
いつも思うのですが、参列者が多く集まったところで、死んだ人が生き返ることもないのです。

葬儀が終わると、火葬場へ移動しました。
自分らは、弟のレンタカーで移動しました。
僕の知っている火葬場ではなく、今は新しい火葬場が昔とは違う場所にできていました。

昔は火葬場で一番親しい人が火をつけるという儀式みたいなものがあり、
その瞬間、火を付ける人が感極まって泣き崩れるという場面を見たりしたことがあります。
今回、亡くなった当人が亡くなった旦那さんの火葬場でそういう風だった記憶があります。
その後、都会で親戚の火葬場などではそういう儀式はなく、かなり簡素化されていて事務的な
ものだった印象があります。

それでも、火葬している待ち時間にはかなり親戚同士で和んだ雰囲気になり、
何か軽食でも食べながら楽しそうに談笑していることが違和感もあり、印象に残っていました。
あまり、悲しくしんみりしていても故人も喜ばないということでしょうか?

今回の火葬場は都会の火葬場と同じように綺麗で新しい建物で段取りも都会と同じようになっていました。

待ち時間には、他で火葬を行っている人の中に高校までの同級生もいました。
しばらく会っていないので、最初はよくわかりませんでしたが、大学も同じだったようです。
学部が違ったので一緒に遊ぶことはなかったですが、顔見知りではあるので
近況などを少し話しました。

その後はやはり親戚と楽しく談笑しました。
あまりにも、普通の楽しく話す談笑なのです。
しんみりすることもありません。
親戚が一同に返すことは冠婚葬祭のときぐらいしかないのではずむ話しもあります。

火葬が終わってお骨を収めるところがもっとも辛い場面かもしれません。
じっとがまんして事を進めるのみです。

それから、みんなで葬儀場に戻って、食事を食べながらお坊さんのお話しを聞きました。
こういうシーンは初めてですが、お坊さんもなかなかいいことをいいます。

それが終わったら、すべての行事が終了です。

おじさんやおばさん、従妹達はは午後の飛行機で帰るそうで、弟は長崎港に車を停めているということで
一番早いジェットフォイルで帰るということです。
レンタカーをレンタカー屋に返しに行き、港まではレンタカーのお店の人が送迎してくれます。
レンタカー屋の人は弟の同級生らしく知り合いなので、良くしてくれます。
小さな街なので町中が知り合いみたいなものですけれどね。

それで、港で弟を見送りました。
見送りは寂しい気持ちになるものです。
しかし、これで一連の行事が終わってほっとした気持ちになりました。

それから、泊めてもらう友達に迎えに来てもらうために電話しました。

(つづく)