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「日本には守備の文化がない?」by フローラン・ダバディー氏


「黄金時代」フローラン・ダバディー著を読んでいる。
(参考URL www.bekkoame.ne.jp/i/hugo/hp/shyohyo/daba.html)

著者は言わずと知れた、トルシエ氏の通訳(パーソナル・アシスタント)だった人である。

氏は今でも日本のテレビに出てきてサッカーについてのコメントを言ったりしている。
ときどきでてくるコメントを聞いていると、とてもサッカーの好きな人なのがわかる。
本にも出てくるが、昔から相当のサッカーオタクなのだそうだ。
氏のテレビでの発言が気になっていたことがあった。
それは、「日本には守備の文化がない」という発言である。
これは、トルシエ監督が言ったことで、ダバディー氏がそう思っているとは思わなかった。
実際にそういう話しがトルシエ監督からでてきてから同調したのかも知れないし、
ダバディー氏が日本の文化や日本人のメンタリティーを勉強してトルシエ氏に教えたのかもしれない。
僕は、今回、この本を読んで、後者であることを確信した。

僕は、「日本には守備の文化がない」と聞くとちょっと考えてしまう。
他の日本人や他の外国人からも聞いたことがなかったからである。
たぶん、ダバディー氏の発言はサッカーの範疇だけではなく、日本の歴史や日本人のメンタリティー
なども勉強した上での発言なのだと思う。
これは本当に考えてしまう。
歴史で言えば、確かに豊臣秀吉の時代からの外への攻撃は得意としたが、アメリカからの攻撃には
もろかったとかそういうこともあるのだろうか?
ただ、ロシアのバルチック艦隊が来襲したときには持ちこたえたし(神風によるもの?)
その部分は守備したことになるのではなかろうか?

じゃあ、日本人のメンタリティーはどうなのかというと、これは判断が難しいので
スポーツの部分で考えてみることにする。
野球の場合は守備と攻撃がはっきりと分かれているのでわかりやすい。
文化という点では高校野球がわかりやすい。
高校野球では、生徒が変わっても大体はチームの特徴が踏襲されていることが多い。
かつての新居浜商業は守備的なチームだし、池田高校は攻撃型のチームだと言える。
高校野球に限って言えば、守備的な文化も存在することがわかる。
プロ野球ではどうだろうか?
さすがにプロ野球では、野球というスポーツの本質からピッチャーの重要性が強調される。
僕も長くプロ野球を見てきているが、攻めだけで優勝したのは1985年の阪神だけではないだろうか?
あのチームは掛布、バース、岡田のトリオがすばらしく、ピッチャーも池田などがいるにはいたが
圧倒的に攻撃力で優勝したチームだった。
とすると、こと野球に関しては守備の文化が日本にはあると思う。

では、肝心のサッカーではどうか。
僕は、日本のサッカーを70年台後半から見ているが、守備的に戦うチームがないかと言えばまったく
そんなことはない。
かつての日本リーグ時代の三菱などは落合弘を中心に守りを固め、1点取るとGK田口へのバックパス
(当時のルールではフィールドプレーヤーからのバックパスをGKは手で処理することができた)
で時間をかせぎ、まったくつまらない試合でも勝利する方策をとっていたし、総合力で劣るチームは
引いてカウンターというのが一般的であるのは日本に限らず世界中で同じであろう。

ただ、メンタリティーはどうであろうかということになると、ことは難しい判断になる。

話しは突然、草サッカーになってしまうが、草サッカーチームで試合をすると、大抵の場合、
最初から守りを固めて勝とうとするチームはまれである。
ただ、僕が所属するチームではチーム内のメンバーにスキルの差が大きいため、
わかっている同士のメンバーが揃ったときには、1、2名以外のメンバー全員で守り、
前のスペースを空けておきスキルの高い1、2名で得点して勝つというような試合をすることがある。
草サッカーのレベルでも、守備をすることが勝利につながることを知っているチームはあるのだ。
ただ、そういう試合で勝った後の発言は気になる。あるときチームのメンバーがこう言ったのだ。
「自分もこんな内容の試合じゃなくて攻めて勝ちたい」
これは、どんなレベルでのチームでもあることで、自分は攻めたい。守りたい、
というメンバーの意識の差である。

こういうことなどから考えると、日本人に守備のメンタリティーがないとは思えない。
それではなぜ、ダバディー氏がそう思うのか?

これは近年の日本サッカーの流れがあるのかもしれない。

ソウルオリンピック予選の時、日本代表の石井監督は、総合力では予選突破できないと
判断し、極端に守備的な選手を並べ、攻撃は水沼、原などの単発の攻めに託して中国に最終決戦を
挑んだ。
中国とのアウェーではシュート30本以上を打たれながらシュートたったの2本の内1本を原の
ヘディングでものにして1-0で勝利した。
しかし、雨の国立競技場での最終戦では引き分けでもオリンピック出場だった日本はさらに守備を固めた
のだった。中国はホームの試合を「血の教訓」として、最終戦に挑んできた。
日本は唯一のビッグチャンスであった手塚のシュートがGKの正面を突き得点できないまま、
カク・カイトウにヘディングで決められ、後半にも1点を追加され守りきることができずに出場権を逃した。

また、同じようにフランスW杯最終予選のドーハのときのこともあるかもしれない。
あと、1プレー守ればというところで力尽き、W杯初出場を逃した脱力感。

これらのことが、日本人の脳裏には守っていては勝てないということがすり込まれていると
感じたのか?それとも守りきれないこと自体に対して「守備の文化がない」と言っているのか?

また、こんなこともあった。
1996年のアトランタ五輪の初戦のブラジル戦で西野監督は守備的に戦い勝利した。
続く、ナイジェリア戦も守備的に戦ったが中田英寿が戦術を守らず、それを契機に守りは乱れて
敗れてしまう。
終戦ハンガリー戦は攻撃的に戦い3-2の勝利。
問題は帰国後の日本サッカー協会のテクニカルレポートだった。
「守備的に戦った日本チームは将来性のない戦い方をした」
とのレッテルが貼られたことだった。

こんなことも含めてかもしれないが、日本では守備的に戦うことが推奨されない環境にあると判断されてもしかたないことかもしれない。

それにしても、ダバディー氏のように来日10年も経たない外国人から、
「日本には守備の文化がない」
などと言われるのは気分のいいものではない。

早く、日本代表がフランスに1-0で勝って欲しい。守備的でもいいから。

ただ、この間、広尾ガーデンヒルズの本屋さんでダバディーさん見かけたとき、サインしてもらおうと迷ってた自分がいました。(情けない?)