フランスW杯観戦記
日本vsUAEは1-1の引き分けに終わった。 これにより、日本はUAE戦で自力での2位突破がなくなり、 同時に同節試合がなく既に勝点16を得ていた韓国と2位UAEとの勝点差が8となり、 韓国のグループ1位およびW杯本戦出場が決定した。 次の試合はアウェーの韓国…
加茂監督更迭時のことが最近刊行された川淵三郎著作の「独裁力」という本に書かれていました。 それによると、ウズベキスタン戦が終わったあと、そのときの強化委員長だった大仁氏が協会幹部に対して 監督を変えてくださいと申し出てきたのだそうだ。 それに…
前節、UAEがアウェイのカザフスタン戦で敗れたため、勝ち点1差で追いつけるという 紙一重望みが残った日本。 このホームでのUAE戦で勝てば自力でプレーオフに進出できる2位に上がることができる状況となっていた。 ホームの試合ということでまたも僕…
1998年フランスW杯アジア最終予選も第5節が終わり 各国の勝ち点は以下のようになっていた。 韓国………………12 UAE……………7 日本………………5 カザフスタン……2 ウズベキスタン…1 残り3戦の状況で1位突破は絶望的、なんとしても第三代表決定戦へ出るため…
有機・低農薬野菜と無添加食品のらしっしゅぼーや 突然の加茂監督解任で急遽監督という立場に祭りあげられた岡田武士、 最初に協会幹部に監督就任要請を受けたときには、 次のウズベキスタン戦までの1試合限定で受け入れたそうだ。 自分は加茂監督に呼ばれ…
日本のサッカー史上、これまで病気以外の理由で監督が代わるなどというのは前例がなかった。 中東などではちょっと負けるとすぐに監督が変わったりするものの日本でこのようなことが起こるとは夢にも思わなかった。 ここで、なぜ、このようなことになってし…
カザフスタン戦が終わった日の深夜、加茂監督が更迭されたとの衝撃のニュースが飛び込んできた。 中東などではよくあることであるが、日本でこの最終予選中にこんなことがあるとは夢にも思わなかった。 後任はコーチである岡田武士氏だという。 はたして、こ…
もうこれ以上勝ち点が落とせない(そう思っていた)日本は 韓国戦が終了した翌日にはカザフスタンのアルマトイに飛んでいた。 カザフスタンは日本人にはあまりなじみがない国である。 それは、長らくソビエト連邦(ソ連)として国ではなく、1つの地域として…
韓国戦直後の週明けには、会社の研修があり、同期などと会う機会があった。 ここでも、最終予選の話しとなった。 これまでの勝ち点では 日本:4 韓国:9 となっている。 日本は韓国とUAEとこれまで勝ち点を落としている相手ともう1戦を残しているから…
フランスワールドカップ出場を目指す日本のアジア最終予選第4節(日本の3試合目)は、韓国にホームで1-2と敗れるというショッキングな結果となった。 この最終予選は5チームによるホーム&アウェイの総当り戦であり、8試合の合計勝ち点で決まり1位の…
日本が先制したのは67分(後半23分)まだ試合はこれからという時間だった。韓国のチャ・ボンクン監督は”まだ、時間はあるので落ち着け”というポーズで選手を落ち着かせようとしていたということが後日のニュースで明らかになり、加茂采配との比較で名采配…
試合が始まった、 ものすごい大歓声である。 そして試合もそれに応えるかのような激しい局地戦が展開された。予想通り、カズにはチェ・ヨンイルの密着マークがついている。韓国は日本のことを本当に研究しており、日本の得点源であるカズを押さえれば勝てる…
FIFAアンセムがかかって選手が入場してきた。 大歓声とともに一斉にスタジアムが紙ふぶきに覆われた。 最高のボルテージだ。 両国国家が演奏される。 気分は最高潮だ! 日本が悲願のワールドカップに出場するためには乗り越えなくてはいけない壁。 それ…
入場時のごたごたはあったものの何とかいつもの席を確保できた。 この日の注目はなんと言っても、直前に日本国籍を取得して代表入りしていた ロペス・ワグナーの起用法だった。 日産自動車の頃から加茂監督はロペスの実力を熟知しているので どこかで使うは…
後援会の招待券の配布が始まった。 実はこの後援会の招待券配布方法には1つの問題があった。 後援会の招待券配布のために並ぶ列と一般発売での自由席での 入場の際に並んでいる人の列が違っていたのである。 そして後援会の招待席を受け取った人は、その時…
1998年フランス・ワールドカップ・アジア最終予選B組も第3節を終わって ここまでの成績は以下のようになっていた。 順位 国名 勝点 勝 負 分 得点 失点 得失点差 1位 韓国 6 2 0 0 5 0 +4 2位 UAE 4 1 0 1 4 0 +4 3位 日本 4 …
第2戦は初戦から1週間経ったアウェーでのUAE戦だった。 僕はさすがに中東までは行かず、テレビ観戦だった。 この試合はもう、暑さとの戦いであった。 たしか現地時間の夕方4時くらいの試合だったと思う。 それでも、40度を超えるかのような暑さだっ…
前回の予選がドーハの悲劇で終わり、なんとしても、地元開催の前に 初出場を果たしたい日本にとって、今回の予選は過去に類をみないほどの 国民の期待に満ち溢れていた。 いまさら、最終予選前のことを書いても仕方ないし、忘れてしまっているので 最終予選…