いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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「檸檬」と梶井基次郎

先日、中学校の教科書に載っていた川端康成さんの「朝の光の中で」という

エッセイの思い出コラムを書いたときに、

ブログ友達のよしみんさんが梶井基次郎の「檸檬」が心に残っているというコメントを

いただいて気になったので図書館で借りて読んでみました。


イメージ 1



あらずじを簡単に抜粋すると、以下のようになるようです。(wikipediaより抜粋)

肺を病んだ「私」は得体の知れない不安に始終苛まれ、

それまで関心を持っていた音楽や詩、文具店の丸善への興味を失い、

当てもなくさまよい歩く。

そんな折り、

普段から気に入っていた寺町通果物屋京都市中京区「八百卯」・2009年1月25日閉店)

の前で「私」はふと足を止める。そこには珍しく、レモンが並べてあったのだった。

「私」は気に入ってそのレモンを一つ買ったが、

肺病で熱を帯びた手にその果実の冷たさはちょうど良く、

それまでの不安が幾分か和むのに気がつく。

そしてそのまま、足が遠ざかっていた丸善に立ち寄るが、「私」はまた不安な気持ちにさせられる。

普段気に入って見ていた画集を見てもその気持ちが変わらないのに不満を覚えた「私」は、 

画集を積み上げたうえに時限爆弾に見立ててレモンを置いて立ち去る。

その後「私」は、私を不安にさせた様々な物事が、

爆弾に見立てたレモンによって爆破される様を思い浮かべて、一人興奮する。

丸善・京都店(2005年10月閉店)にはレモンを置き去る人があとを絶たなかったらしいです。

教科書という媒体がいかに国民に大きく影響を与えるのかというエピソードの1つのような気がします。

僕はミーハーだからここに出てくる八百屋や丸善にも行ってみたくなりましたが、

最近になって閉店となったことが残念です。o(*≧O≦)ゝ < ざんね~~~~~~ん !!




ところが・・・・

いろいろ調べてわかったのですが、梶井基次郎さんは京都には住んでいたようですが、

この「檸檬」の話しは梶井基次郎さんが大正12年に東京に遊んだときに、

町でレモンを買った体験をしたときの草稿にもとづいたものなのだそうです。

文章中に出てくる「丸善」も実は京都の丸善が元になっているのではなく、

東京の丸善の記憶らしいです。

草稿「第三帖」とよばれているノートには、以下の記述があるそうです。

(レモンは)その日の私を慰める悲しい玩具になつたのだつた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

色の配合を考へながら雑然と積み重ねた。

そして今まで手に持ってゐたレモンをその上にのせた。

その黄色の固りは雑多な色の諧調をひつそりと一つにまとめ、その頂点に位してゐた。 


私はそれにこの上ない満足を感じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ほこりの多い騒然とした書店の中にそのレモンのあたりの空気のみは変に緊張して、

レモンはその中心に冴かに澄み渡ってゐるのである。

私はこれでよしと思つた。

梶井基次郎は理科系の出身なのだそうです。

結局、最初にレモンのことに関心を惹いたのは化学反応のようです。

東京の丸善を京都の丸善に、レモンを檸檬に、色の配合を爆弾による破壊に、

理科実験がされたのでしょうか?

凡人ではできない推察だなー・:*:・o(*' '*)o・:*:・ぅと~り♪



実は梶井基次郎宮沢賢治とともに理科系の文学の突端を切り拓いた作家でもあったらしいです。

『桜の樹の下には』『Kの昇天』も浪漫チックですが、

ロマンティック・サイエンスということもあるようです。

次は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でも読んでみようかな?



梶井基次郎は美少女が好きな男で、感動屋で、酒癖がめっぽう悪かったらしい。

いっさいにとんちゃくしない純粋無垢な女性が好みだったようです。

まったく僕とそっくりだな。(〃∇〃) ぁぃゃ~☆・・・

僕はお酒は飲めないけれど、無理に飲むとろくなことにならないしね。*´ο`) -з フゥ...