いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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銀河鉄道の夜

宮沢賢治の代表作、
銀河鉄道の夜
を遅ればせながら読んだ。

先日の資格試験が終わって最初に何を読もうかと考えていましたが、
前々から読んでみたかったこと。
それと最近、テレビの「しくじり先生」でオリラジ中田のあっちゃんがなかなかいいプレゼンテーションをしていたこともきっかけになりました。

ずっと前から家にあった古い角川文庫のものを読みました。

やはり、言葉づかいなどは読みにくいところがありましたが、所々、原稿がないところがあったり、宮沢賢治の没後に出ていますから、未完成作品で発表後もいろいろな学者の解釈の違いによって改版が繰り返されているようです。

今回、読んだ後にウィキペデュアを見てみました。
すると、そこにはこういうことが書かれてあります。

第1-3次稿(初期形)と4次稿(最終形)の間には大きな差異がある。「銀河鉄道の夜」という題名や、冒頭の学校の授業や活版所のシーン、そして結末のカムパネルラが川で行方不明になる挿話などは4次稿で追加されたものである。また、3次稿までは銀河鉄道の旅はブルカニロ博士(後述)の実験により主人公が見た夢だったとされていたが、最終形に博士は登場しない。

また登場人物の解説欄には以下の説明もあります。

ブルカニロ博士
初稿から第3次稿まで登場したが、第4次稿では全てのシーンがカットされた。
「やさしいセロのような声」をした大人。ジョバンニが銀河鉄道に乗ったのは博士の実験によるものだった。銀河鉄道内では、どこからともなく声が聞こえるか、乗客として現れる。ジョバンニにものの見方や考え方などを指し示す。

カムパネルラの父(博士)
第4次稿にのみ登場。
ジョバンニに息子のカムパネルラが落ちてから45分たち、生存の可能性が無いこととジョバンニの父が帰ってくることを伝える。

僕が読んだ角川文庫は古いもので
昭和六十一年七月二十日 改版四十七版発行
のものです。

この本の中では、ブルカニロ博士が登場しています。
よって、第1次稿-第3次稿までと思いきや、カムパネルラが川で行方不明になったシーンも出てくるし、カムパネルラの父(博士)も登場します。
よって、ウィキペデュアの解説の第1次稿-第3次稿、第4次稿のどれでもない、ミックスされた稿だと
いうことがわかりました。
ブルカニロ博士とカムパネルラの父(博士)と博士が2回も出てくるので、混乱しましたし、
ブルカニロ博士が登場したシーンでもブルカニロ博士の実験だとは理解できませんでした。

また、「しくじり先生」では銀河鉄道に乗っているときに、ドボルザークの「家路より」がかかっていたとありましたが、僕が読んだ本にはそういう記述はありませんでした。
しかし、家にあるもう一つの子供用の文学全集の方にはその記述があります。

僕の読んだ角川文庫の巻末の解説には、
-生前推敲の最後の形において-発表することが、著者の意図に最も近いものと考え。。。
その方針に従って、昭和四十四年完結の筑摩書房版第二次宮沢賢治全集第十巻の本文を基とししている。
とあります。
よって、最新の解釈の第4次稿のものではないことは明らかなようです。
最新版も読んでみたいです。

そういう時代による解釈の違いはありますが、著者の主張はどこにあったのかを考えることが重要です。

宮沢賢治が一番言いたかったのは、やはりさいわいなことは何かという問いかけだったのかな?と思います。
しくじり先生」でオリラジ中田のあっちゃんの解説では、アメニモマケズの考え方も含め、
他人のためになることをすることが、人の幸せなのだと訴えたかったのではないかと言っていましたが、
やっぱりそういう風に感じます。
これは近年でも一般的に言われていることです。
他人のためになることをすると喜んでもらえるし、自分もそれで満足します。
人間の幸せに感じることの一つには違いないと思います。

日々の生活や行いで何をもって幸せと感じるか?
他の作品も読んでみたくなりました。