いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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「Dr.コトー診療所」を見て思い出したこと


先日、「Dr.コトー診療所」の2回目の連ドラ放送が始まった。

離島を舞台にしたドラマであり、「北の国から」の純君こと吉岡秀隆君が主役のドラマなので
前回から見ている。

本州以北の方々にはわからないかもしれないが、同じ離島といっても
ドラマでの支木那島こと与那国島は人口が約1,700人ぐらいの島であるのに対し
僕が育った福江島は人口が常に3万人以上いる。
福江島は総合病院もあるし、産婦人科を始め各専門の医院も存在している。
だから、普通に手術も行われているので、長崎まで行かなければならないのは
大掛かりな手術などを行う場合だけである。
老人も多いので、お医者さんと呼ばれる方々も結構多いのである。
知らない方には、離島の医療事情といってもかなりイメージが違うということをお伝えしたいと思う。

ドラマの内容について触れたいと思う。

今回は最初、中学校の合格発表というところから始まった。
最初の私立中学に合格して喜ぶところからドラマが始まったので視聴者としても気分よく入り込めた。
しかし、その後、国立中学には不合格ということがわかり、学費の高い私立に通うことを剛洋君が
ためらってしまう。

今回の僕のお気に入りのシーンはこのシーンである。
なぜなら、僕も受験のときに同じような気分を味わったからである。

働いている方ならわかると思うけど、都会の賃金と地方の賃金との格差は大きい。
公務員は別にして、一般的な民間企業で働いている人などの賃金はざっくり言っても2倍以上は軽くある。
都会の高給取りのサラリーマン(金融関係など)とは5倍以上の賃金格差がある。
(僕の知っている範囲では少なくともこれぐらいある。びっくりでしょう?)
さらに、僕の家庭は僕が幼いころから母子家庭だったために、幼いころから
「大学は国立にしか行かせられない」
と母に言われてきた。
家にお金がないことは生活ぶりから十分にわかっていたので、私立大学など受ける気もなかった。
それが、現役受験では、国立だけでなく私立も受けろと言われ、受けたが、すべて不合格となり
浪人することになった。
福江島には予備校がないので、母は自宅で宅浪(たくろう[自宅で予備校に通わないで独学で浪人すること])
させるつもりでいたようだ。
僕は、なんとなく長崎の予備校に行くと思っていたが、そんな金はないと言われた。
福江島から長崎まではフェリーで3時間半かかる。
当然、自宅から予備校に通うことなどできないから、予備校に通うためには、
家を出て長崎に下宿する必要があるのである)
僕はそれで、ふてくされてあきらめていたのだが、ある日、叔父さんが母を説得してくれたようで、
母が長崎の予備校を受験しろと言ってくれた。(予備校にも受験があるのだ)
僕はそれで安心していたのか、その予備校の受験日の3日ほど前、机で文庫本の読書をしていた。
それを見た母が、
「予備校の受験のために一生懸命勉強していると思ったら本なんか読んでいる」
と激怒した。母からしてみると、大学に通わせるための学費しか考えていなかったところを
無理して、長崎で下宿させて予備校まで通わせようとしているのに、勉強せずに本なんか読んでいることが許せなかったのだろう。確かに、うかつだったと思う。
それで、激怒した母は
「もう予備校なんか行かないでいい」
といってそれっきり、そのまま予備校の受験日を迎えてしまったのだ。
予備校の受験は午後に予定されていた。朝、8時ごろ出るフェリーに乗って長崎に向かわないと
受験できない。(長崎へは朝、昼、夕方の3便しかない)
そして、その朝、母は、僕に運賃等のお金も渡さずに、そのまま会社に出て行ってしまった。
もう絶望的な気分だった。
そして、母が会社に出て行った数分後だった。
隣に住んでいる叔父さんがやって来て、
「これで長崎に行って来い。」
といって、運賃や宿泊費を渡してくれたのだ。
僕は、急いで仕度をしてフェリーで長崎に向かった。
(この日のことは昨日のことのように覚えている)

これでなんとか予備校の試験を受けることが出来て合格することができたのだ。
しかし、僕はあまり親に対して申し訳ないとか思わない性格(というより基本的に仲が悪かった)
だったので、予備校の学費や長崎での下宿費、生活費がかかることではあまり気にしていなかった。
それより、来年、必ず、国立大学に合格してやると思っていた。

時は流れて、1年後の受験シーズンを迎えた。
お金はないはずなのに、また、国立だけでなく私立も受けておけと言われた。
しかし、ここで、とばっちりを受けたのが弟だった。
僕がいろいろな大学を併願して受けるためにお金がかかることと、現役で合格できなかったことが
原因だったのだと思う。
弟は推薦入試で、とある私立大学を受けろと母や親戚の叔父さん(上の叔父さんとは別の人)に
命令されていたのだ。弟とすれば、僕と同じようにもっとレベルの高い国立大学や私立大学に
一般入試でチャレンジしようとしていた矢先に、行きたくもない私立大学に推薦入試を受けて
入れと言われたのだ。推薦入試を受けて合格すると、他の大学の一般入試は推薦した高校が
受けさせてくれない。これは、最初から受験をあきらめろということなのである。
僕は、電話で母と弟からの言い分を聞いて相談を受けたが、非常につらかった。
いくつかの大学を受験している途中に、弟から電話で
「***大学ぐらいは受かると思っているからな」
というような内容のことを言われたときに初めて、自分の受験のしわ寄せが弟にいっていると思った。

そして、4校の私立大学と、1校の国立大学(共通1次試験があるから国立は1校しか受けられない)
が受験すべて終わった。
これ以上の浪人はさせられないと思ったのか、かなりレベル低い私立大学から順に受けていたので
その時点で私立2校に合格、1校に不合格、そして、もう1校の私立と、国立大学の合格発表はまだであったが、
感触からして国立は不合格になるだろうと思った。(私立の方は五分五分だと思ってた)

その2校の合格発表前に、長崎の下宿を引き払うことになった。
この時点ではどこの大学に行くことになるかわからなかったので、
荷物は一旦、福江の自宅に送ることになった。
荷物の整理のために母が、福江から弟を寄越してくれた。
弟は朝のフェリーで昼ごろには下宿に現れた。
1泊したか、日帰りだったか忘れてしまったが、荷造りがあまりはかどらず、
引越し業者の軽トラックに荷物を詰め込み、大急ぎで、夕方のフェリーに間に合うために
路面電車ではなく、タクシーでフェリー乗り場に向かった。
出航時間ギリギリにターミナルに着いた。
切符売り場に行くと、切符を売ることよりも、
「走って桟橋に行ってみてください。間に合えば乗ってから切符を買ってください」
と言われ、全速力で桟橋に向かった。
もう、すべての乗船客は乗ってしまっており、出航するところだった。
もう、ギリギリでフェリーに飛び乗った。
そして、船室には向かわずに、後ろの甲板に向かった。
弟と二人で、よく間に合ったなと言い合ってホッとしていた。

日が傾いた夕方、しばらく、夕焼けの長崎の街を2人で眺めていた。
1年間の浪人生活を送った街がだんだん離れていく。
僕は、あの1年前の予備校受験からこの日までの1年間の浪人生活を思い出しながら
とても切なかった。本当に切なかった。
この1年間は何だったのか?
1年前は1浪すれば国立に入れるという自信があったからよかった。
しかし、結局は母の期待に応えられず(たぶん国立は不合格と思っていたから)
弟にも迷惑を掛けてしまい、そんな自分が情けなかった。
あの夕焼けの長崎の街がだんだん離れていく光景は一生忘れないだろう。


数日後、残りの大学はすべて不合格と判明した。ある程度予想した通りだった。
合格した大学は弟が推薦入学で合格した大学と同じ大学だった。
僕も行きたい大学ではなかったが、どうすることもできなかった。
結局、兄弟2人とも私立大学に行くことになってしまった。
それだけではない。長崎で浪人生活をしたことでその学費と生活費もかかっていたのだ。
自治体の奨学金などは利用したものの、田舎の母子家庭から同時に2人も
都会の私立大学に出すのは並大抵の出費ではなかったはずだ。
特に東京などとは違って下宿費や生活費の仕送りも必要なのだ。

こんな経験をしてしまった(というか情けないの一語)自分にとって
先週のDr.コトー診療所のシーンは非常に印象的だった。

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