いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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29年前の昨日

昨日は日航123便事故からちょうど29年目ということで、フジテレビでは特番があった。

実はその123便がダッチロールしているその下の下りの新幹線に僕は乗っていた。

初めての北海道を1ヶ月かけて回ったあと、帰りに寄り道に横浜の親戚の家に泊まり、
つくば博などの観光をしていた。

往路は福岡から北海道までのワイド周遊券(今は廃止されている)を使って新幹線、夜行急行八甲田を乗り継いでいたから、
帰りも東京駅からは新幹線で帰るつもりだったものの親戚の叔父さんは旅行会社に勤めており、
宿や交通機関の手配はお手のものだったことで、
前日には飛行機を取ってやろうということでいろいろ調べてくれたらしい。
結局、お盆の帰省時のピークだったことでどうしても取れなかったらしい。
それで最初の予定通り東京駅から新幹線の自由席に並んで帰ることになったのだけれど、
怖いのはこのとき叔父さんは福岡までの飛行機は大阪経由の便も見てくれていたらしく、それも取れなかったと言っていた。

当時はインターネットも携帯電話やスマートフォンもない時代、
あの墜落した123便の下を新幹線で移動していたことなど知る由もなかった。

それでもウォークマンや携帯ラジオは持っていたが、静岡県通過時はウォークマンを聴きながら窓の外の富士山でも眺めていたと思う。

そして、名古屋から隣に乗ってきた叔父さんが、
「なんか飛行機落ちたらしいよ」
と教えてくれたので、持っていたラジオを聞いてみた。
そのときはまだ情報が錯綜しており、
消息を絶って行方がまだわからないと言って大騒ぎになっていた。

それから日付が変わる頃、福岡の当時住んでいた部屋に着いてからずっとニュースを見ていた。

次の日、実家のある五島福江に帰るため、
特急かもめとフェリーを乗り継いでいる最中、ずっと救出活動のニュースを追っかけていたことを覚えている。

もし、あの飛行機に乗っていたらとか、
あの飛行機が新幹線に落ちていたらとか、
そんなことも考える。
人の運命は紙一重なんだとそのときはゾッとしたものだ。

それと一緒に強く記憶に残っているのは、
田舎の五島福江の暑さである。
1ヶ月も涼しい北海道にいたことで身体は低湿度に馴染んでいた。
首都圏や福岡では感じなかったが福江に帰ると
ジトっとした湿度の暑さが強烈だっだ。
あのとき初めて、自分が湿度の高いところで育ったことを実感した。

毎年、8月12日になるとあの日のことと福江の暑さを思い出す。