いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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203位 雨の物語 / イルカ

203位  雨の物語 / イルカ                    





発売年: 1977年

備考: イルカとしては「なごり雪」(1975年)に次ぐ2番目のヒット作。
    TBS『ロマンを旅する』テーマソング。

この曲はイルカさんのヒット曲なんですが、
上にも書いているとおり、僕にとってはTBS『ロマンを旅する』テーマソングとして
とても強い印象が残っています。

もうかなり昔の旅番組ですけど、日曜日の昼下がりの時間帯に放送されていました。
そのときは長崎のローカル放送ですので全国ネットとしてこの放送時間だったかは
わかりません。

この番組はロマンという言葉がタイトルに含まれている通り、
過去の名作童話であったり、名画の背景を追ったりする旅でした。

あるときはアンデルセン童話の関係でデンマークを旅したり、
ゴーギャンの名画を追ってタヒチを旅したりという作りでした。

印象に残っているのは、全身全霊をかけて臨んでいた中学3年時の中体連のときです。
野球部だったのですが、中体連の前からバッティングの大スランプに陥っており、
それを見ていた母が元プロ野球選手の叔父さん(母の弟)に指導してくれるよう頼んでくれました。

それから、毎日5時起きで小学校のグランウンドに行って、二人だけで指導してくれました。
素振りのフォーム、トスバッティングでのフォームのチェックをしてくれました。
それまでは我流でのフォームで、その前年の秋にいつも来ない顧問の先生が来て
トスバッティングの投げる方をやって、アンダースローなのにかなり右側(3塁側といえばわかるかな?)
から投げるものだから、右バッターの僕は内側からくるボールに体を開くようになり、
そのときはとても打てなくなったばかりか、それで、大きくバッティングフォームを
崩すことになり、それがきっかけで大スランプにつながっていたのです。

そういう毎朝の特訓のおかげで次第に調子を取り戻ぢていきました。
その指導方法は素人の先生ぐらいからしか指導を受けていない僕には斬新なものでした。
見るところが全然違うし、言う内容も違います。
これほど指導者の指導方法で違うものかと思いました。
さすがに元プロ野球選手ですから説得力もあるし、五島のような田舎ではその上の人はいませんから。

そういう特訓を経て、中体連の日を迎えていたのです。

当日はその甲斐あって、ヒットを打つことができました。
しかし、盗塁失敗(これは実践経験不足が原因でした)あり、
同点で最終回を終えたため、1アウト満塁からの決着でも、3塁走者として、
浅いレフトフライでの本塁憤死。
(これは小学校のときの3位決定戦[次のステージへ進むチームを決める大事な試合]で同じ場面で
浅いレフトフライでタッチアップしなかったときに監督からタッチアップだろと叫ばれたことが脳裏にあった)
最後は、相手の最後の打球が自分の守っていたレフトのライン際を抜けたこと。
(たぶん、一般人には到底取れる打球ではなかったと自分では思っていますが)

そういうもろもろのことがあってサヨナラ負けしたことが悔しいというか
残念な気持ちになっていました。
それと、高校では母から野球はやめとけと言われていたこともあり
(そうは言っても自分の意志でやることも可能で、その葛藤は高校に入ってからもありました)
もう、こんなに野球に打ち込めることはないんだという寂しさで悲しくなり
そしたらもう、それから号泣してしまいました。

まわりのみんなはそんな僕を見て、どう思ったかはわかりませんが、
とにかく寂しさだったんです。
よく部活動最後の試合のあと、泣いている学生がいますが、くやしさというより
こういう寂しさなんだろうと思います。

で、話しをもとに戻します。

そういう試合をして家に帰って、放心状態になっているときにやってたのがこの
『ロマンを旅する』という番組だったんです。

そのときの番組内容は忘れましたが、そのときの番組内容は放心状態の自分にとって
とてもさわやかな気分になる映像でした。
そこに一緒にいた叔母さんが「これなんの番組?」と言って、普通に見ている人には
ちょっとつまらないという趣旨のことを言ったのを覚えています。
しかし、自分にとってはとてもいい番組でした。

それから、毎週この番組を見るようになって、それでこの曲を強く覚えているという流れになっています。
人の印象深い曲の理由ってひとそれぞれなんですよね。