いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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今、一度、空白の1日を考えてみる


今朝のたまたま見た「サワコの朝」というトーク番組で江川卓さんがゲストで出演していて
例の空白の1日のことを話していた。

出演は『ライバル伝説』とい映画の宣伝のためだと思いますが、
この空白の1日のことについては、興味深い話しをされていた。

現在に至っても、コーチや監督をやっていないことの原因にはやはり本人の中では
未だにあの空白の1日のことがひっかかっていることがあるという。

確かに、あれはプロ野球界を揺るがす大事件だったのでわかるような気もする。

怪物投手ということで高校野球を席巻していた彼は
高校卒業時に阪急ブレーブスに1位指名、
このときは慶応大学受験で失敗し、法政大学に入学。

大学卒業時にクラウンライターライオンズに1位指名、
されたものの、このときも入団を拒否してアメリカ留学していた。

このクラウンライターライオンズに1位指名されたときにはさすがに
自分の中でも衝撃が走ったらしく、頭の中はパニック状態だったものの
冷静さを装っていたそうだが、その時点で入らないだろうなと思ったという。

そして、首都圏周辺に多くいる親戚一同みんなから入団を反対されたそうだ。
もし、そのとき、在京球団でヤクルトから1位指名されていたら入団していただろうと言っていた。

絶対に巨人じゃなきゃいけないわけではなかったんですね。


そして、3度目のドラフト指名を迎える直前、ロサンゼルスで会見場などの整備を自分でしていた矢先にお父さんから、契約できるかもしれないから戻ってこいと電話があったそうだ。

そして、何もわからないまま、規則がかわって浪人中の人はドラフトの前々日に縛りが切れるから
契約できるとの説明を(巨人の関係者から)受けて、
「そういうルールならできるんですね」
ということであのドラフト前日の契約発表となったことのことだった。

巨人の関係者は「いいんだよ。向こうが変えたルールなんだから」と言っていたそうだ。

そして3度目のドラフトで阪神タイガースから1位指名。

記者会見で「興奮しないでやってくださいね」などと言っていたりして世間のイメージは悪くなった。
あのシーンでは最初にマスコミの方の誰かが怒鳴ったそうだ。
それに対して発した言葉をテレビカメラがそこだけ抜いたそうだ。

まあ、あのシーンは仕方ないかなとも思う。
記者の方もつかみかからんばかりの勢いで怒鳴るような感じの質問をしていましたから。


そのごたごたがしばらく続いたあとのコミッショナーの”強い指令”。
それが阪神と巨人のトレード話しだった。

江川氏の方からお願いしたのは1点のみだったという。
それは、巨人から誰かが出て行くことのないようにということだったらしい。
しかし、結果は、当時の巨人のエース小林とのトレードだった。

江川氏、もし自分が逆の立場だったら、行かなかったと言っていた。
そのまま引退する方を選んだ、と。

しかし、実際の小林氏は
「同情はいらない。あっちに行ってからの成績を見て欲しい」
と言って、移籍初年度、巨人相手に8連勝してしまいます。

後年、小林氏は
「あの年はピッチングなんてものではなかった。
意地というか魂というかそういうものだけで投げてましたね」
と言っていたものだ。

その後、双方が引退した後、一度レストランで姿を見たときに、いつかきちんと謝りたいと
思っていた江川氏が近づいていったとき、近づく江川氏に対して、
手をあげて案に「わかってるから来るな」というようなしぐさをしたそうだ。

そして近年になって放送されたあのCMで初めて、リハーサルも台本もなく
本番1本で言葉を交わしたのがあのCMなんだそうだ。


江川氏が今でもあのときのしがらみを気にしているとしたら、
それが、あの事件の報いなのかもしれない。

当時からアンチ巨人だった僕らは、あの事件でますますにっくき巨人となり、
そういう意味では好都合だった。

ドラフトで必ずしも行きたかった球団ではないところに指名され、
そこに入団せざるを得なかった選手たちのことを思うと、
やはりあってはいけなかったことだと思うのだ。