住まいのことばかり考えていたらトリノオリンピックが始まった。
僕はこれまでの冬季オリンピックで、印象的なシーンを思い出している。
最初は札幌オリンピックだった。
当時はオリンピックなるものがどんなものかよくわかっていなかったが、
ジャンプの70m級(現在のノーマルヒル)で日の丸が3本たったのはよく
覚えている。そのとき笠屋選手の金メダルが冬季五輪初の日本の金メダル
だったことは後で知ったことだ。これまでの冬季五輪では日本の金メダルは数える
ほどしかない。
ウィキペディア(Wikipedia)で調べると以下のようになっている。
No. メダル獲得者 大会 競技・種目
1 笠谷幸生 1972年札幌オリンピック スキージャンプノーマルヒル個人
2 日本 1992年アルベールビルオリンピック スキーノルディック複合団体
3 日本 1994年リレハンメルオリンピック スキーノルディック複合団体
4 清水宏保 1998年長野オリンピック スピードスケート男子500m
5 里谷多英 1998年長野オリンピック フリースタイルスキー女子モーグル
6 船木和喜 1998年長野オリンピック スキージャンプラージヒル個人
7 日本 1998年長野オリンピック スキージャンプラージヒル団体
8 西谷岳文 1998年長野オリンピック ショートトラックスピードスケート男子500m
なんと!地元のオリンピック以外ではノルディック複合団体だけなのだ。
僕の勉強不足かもしれないが、アルベールビル五輪前には特に金メダル候補として
ノルディック複合が大きな期待となっていた記憶はない。
どちらかと言えば、フィギュアスケート女子の伊藤みどり選手の方が
期待されていた記憶がある。このときの期待は今回のフィギュア代表3人よりも
大きかったと思う。
当時、ノルディック複合の日本でのテレビの生中継はあったのだろうか?
たぶんなかったと思う。当時の日本ではこのような競技自体が存在していることすら
国民の間では知られていなかったはずだ。
それにしてもゴール付近での日の丸を持ってゴールしたり、表彰台でシャンパンを
かけていたりと痛快な勝利であったことは間違いない。
その後、荻原謙司選手が毎年のW杯スキーで連戦連勝しキング・オブ・スキーの名を
欲しいままとしたことが実力を証明している。
これまでの冬季五輪では過去にそれよりも金メダルを期待されていた選手たちがいた。
1984年サラエボのときだったか、スピードスケートの500m、1000mで黒岩彰選手が
金メダル本命として期待されていた。本番では多大なプレーシャーに押しつぶされたのか
まったく力を発揮できずにメダル無しに終わってしまった。500mで黒岩選手が失速して
日本国民がため息をついているところで直後に登場した北沢選手がなんと銀メダルを
獲得してしまった。これはスピードスケート初の快挙であり。また、札幌オリンピック
以来のメダルだったと思うのですごいことなのだが、大きく落胆している黒岩選手の
方が大きくクローズアップされた。しかし、このことが日本でメンタルトレーニング
の重要性を認識するきっかけとなり、それから、メンタルトレーニング、
イメージトレーニングを導入する日本人選手がいろいろなスポーツで取り入れられるように
なった。
結局、黒岩選手はカルガリー五輪で銅メダル1個を取る事ができたが、金メダルを確実視
された選手にもかかわらず、その銅メダルを掛けてもらった直後のインタビューでは
手と声が震えており、自分の全てを賭けて取ったのだという気持ちが伝わってくるような
シーンであった。僕と同じ年代の人たちは、オリンピック選手への悲壮感のイメージは
彼をイメージするんじゃないだろうか?同時期またはその後だったかフィギュアスケートの
渡辺恵美も金メダルはムリだったろうがメダルを期待されたいたが本番でミスしてしまい
悲壮感を漂わせていた。
日本人選手でもう一人金メダルの大本命として期待されたのがフィギュアスケートの
伊藤みどり選手だろう。結局は銀メダルに終わったが、フリーでオリンピック女子で
初めてトリプルアクセルを跳んだ姿にはすがすがしさが残った。
悲壮感と言えば、日本人選手ではないが、スピードスケート500m、1000mのアメリカの
ダン・ジャンセン選手がいた。絶対的な大本命選手であったにもかかわらず過去2度
のオリンピックではメダルが取れず、背水の陣でリレハンメルオリンピックを迎えたのであった。
最初の500mでは普段の力さえ出せば金メダル間違いなしの状況であったにもかかわらず
カーブで大きくバランスを崩しまたも金メダルどころかメダルにも手が届かなかった。
最後の種目として1000mに登場したころには全世界中の人の同情を集めるまでになっていたと思う。
その1000m、僕はテレビの生中継を見ていた。
解説はその思いを一番察しているだろう黒岩彰さんだった。
そしてダン・ジャンセンは500mが得意で1000mに関してはダントツの金メダル候補せはなかった。
それが、スタートしてから完璧な走りを見せゴールした。記録はそれまで滑った選手の中で1位
であり、たしかオリンピックレコードか世界記録か忘れてしまったがかなりの快走だった。
ゴールした瞬間、客席で応援していた家族全員でものすごいガッツポーズをとっていた。
特に父親のその顔ははるかに喜びを超えた表情であり、これまでの思いが家族とともに発散された
ようだった。そして、感動の金メダルの授賞式。金メダルを首にかけてもらったときの
ジャンセン選手、家族の表情は忘れられない。黒岩彰さんの解説のコメントも自分のことの
ようにうれしそうだった。
冬季オリンピックの思い出はまだまだある。続きは別途書こうと思う。。