いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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トリノオリンピックのメダル期待数

トリノで日本選手の苦戦が伝えられている。

ここまでメダル0であるが、苦戦?だろうか?

前回も書いたが、もともと冬季五輪での日本人獲得メダル数は

多くない。だから期待するというのであばいいのだが。

メダルをとって当然という選手がいままでにいたかというと

そうでもないだろう。

金メダルを期待するレベルであれば、W杯、世界選手権で連戦連勝していた

かつての荻原健司選手ぐらいだろう。

たまにW杯で勝っているような選手や最近調子を崩しているような選手では

メダルを逃すことも予想の範囲内ではないだろうか?

今大会の目標メダル獲得数は5なのだろうだが、これは期待もこめられた

数字であることを考慮すると、メダル3個ぐらいが妥当というところだと思う。

それでも、これまで、モーグル女子、ハーフパイプ男女、スピードスケート500m男女

という期待大だった種目を終えた時点でメダル0をいうのは予想外かもしれない。

今後はショートトラックフィギュアスケートシングル男女、カーリングぐらい

なのだろうか?ジャンプやノルディック複合でメダルが取れればラッキーであろう。

話しは変わってしまうが、昨日の日刊スポーツにジャネット・リンのことが出ていた。

あの札幌オリンピックのアイドルのことだ。

安藤美姫選手との比較をしていた。安藤選手には申し訳ないが存在感としては

まだまだ比較するレベルではい。競技レベルは当時よりも上がっているの安藤選手の

方がうまいところもあるだろうが、インパクトが違うのだ。

これまで、オリンピックなどを観ても、大体において負けた選手には悲壮感が

漂っている。ジャネット・リンはオリンピックという大舞台で尻餅をついてしまうと

いう大失敗をしてしまったにもかかわらず、笑っていたのだ!

当時、このころんだ時のリン・スマイルが話題になったものだが、昨日の日刊スポーツ

にもこのとき尻餅をつきながら笑っているチャーミングな写真が掲載されていた。

なんといってもジャネット・リンはかわいかったのだ。これは女子フィギュアスケート

においてかなりなアドバンテージだろう。可憐で美しさを求める競技なのだから。

それにしてもあの場面で笑えるというには、どういう精神状態なのだろう?

子供のころから一生懸命練習してきて、待ちに待ったひのき舞台である。

昨日の高橋大輔選手も緊張で足の震えが止まらなかったというではないか?

僕はこのときの女子フィギュアスケートの金メダルの選手の名前は知らないが

銅メダルだったジャネット・リンだけは強烈に記憶している。

未だに札幌オリンピックの恋人として伝説となっている。

ウィキペディアWikipedia)で調べても、札幌オリンピックの主なメダリスト欄に

銅メダルのリンは載っていても、金メダルや銀メダルの選手は載っていない。

似たような記憶が夏のオリンピックでもある。

2000年シドニー大会、柔道での篠原選手だ。

彼は審判の見逃し判定によって銀メダルとなってしまった。このこと自体は

よくあることで、さしてびっくりもしないのだが、強烈な印象を残したのは

試合後のコメントである。なんと

「弱いから負けた」

とだけ言ったのだ。

柔道という競技は日本では他の競技と違うメンタリティーが存在する。

金子達人氏がよくいうフレーズですね。

柔道だけは銀メダルは敗北を意味し、金メダル以外は何の賞賛も受けられない

特殊なスポーツなのだ。

そういうのも影響していると思う。また、日本では「言い訳」を言うことほど

醜いものはないという昔からのサムライ精神とでもいうのか、とにかく

潔さ(いさぎよさ)が求められる。

しかし、、、である。

誰でもオリンピックに出るような選手は子供のころから血の滲むような練習を

日々続けてきており、そこを上り詰めて晴れの舞台へでていっているのである。

そこで、あおのような形で負けしてまい。相手に派手なガッツポーズをされても

「(自分は)弱いから負けた」

としか言わなかったのだ。なかなかできないことなのではないだろうか?

サッカーの試合ではこのようなことが国民性として如実に現れる。

審判の判定にクレームを付けるのはヨーロッパより南米の国々の方が顕著だ!

日本ではクレーム自体が潔くない行為、美しくない行為として捉えられる。

しかし、南米などでは相手に言いくるめられて自己表現をしないものと捉えられる。

この傾向はプレー面でも似ている。

日本では反則しないフェアプレーが尊重されるが、南米ではマリーシア(ずる賢さ)

を発揮するのがよいとされる。日本やイングランドなどは汚いことをして勝っても

意味がないという考え方だが、南米諸国などでは負けたら全てが意味のないことと

なってしまう。この辺の国民性を見るのもサッカーや他のスポーツを見ていて

面白いところだ。