いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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2007/12/3(月) 病室での午後

麻酔の説明のとき、明日の手術は3人目で1人目が8:30からで
確実な時間はわからないものの予想では午後1時ぐらいになるんじゃないかということだった。

麻酔の説明が終わり、病室で
麻酔の同意書、輸血の同意書(今回の手術では必要ない予定だが、不測の事態のときのため)
にサインをしてナースステーションに届けた。

病院での初めての昼食が出た。
病院の食事というとおいしくないというイメージがあったが、結構おいしかった。

その後、手術室に持ち込むT字帯と紙オムツを売店に買いに行った。

午後の3時ごろまで、カミさんと息子が病室にいてくれた。
やはり誰かいてくれると気分的に助かる。
廊下には、点滴したままや尿管がついたまま歩いている人がたくさんいるというのに
手術前の僕は、自覚症状のまったくなく元気なので不思議な感じがした。

午後3時になってカミさんと息子が帰った。
その後、テレビカードを買いに行ってTVをつけていたものの
あまり興味ある番組はやってなかったので、持参した図書館で借りた本の
「豪華特急トワイライト殺人事件」著/西村京太郎、を読んでいたもののあまり落ち着かなかった。

気分転換にカミさんに明日もってくるもの(清浄綿とか)を電話していたとき
従兄弟の夫妻が思いがけなくお見舞いに来た。
体は?と聞かれたので、
「手術前で自覚症状もないのでピンピンしてる。サッカーできるよ」
と言っておいた。

従兄弟の五島のお母さん(僕のおばさん)が千羽鶴を織ってくれたといい
それをもって来てくれた。
(あとで数えたところ本当に千羽あった!)
この従兄弟とその両親とは五島では僕と3世帯住宅で一緒に住んでいたので家族のようなものなのだ。
どうやら、心配してるらい。
従兄弟の奥さんはマッサージが得意ということで、こっていた肩や背中をマッサージしてもらった。
非常に気持ちよかった。ありがたい。

従兄弟が帰り、夕食を食べていると、今度は
義妹がお見舞いにきてくれた。
やはりお見舞いはうれしいものだ。

寝る前には、手術前後の経過が書かれてある説明書をもう一度読んだ。
以下のような内容だった。


手術前日:夜9時に下剤を飲む。夜9時から飲み水、食事禁止
手術当日(術前):9時ごろ点滴。禁飲食。
手術当日(術後):医師より家族に手術の説明。回復室にてベッド上。(起きられない。寝返りは可能)
         心電図、酸素マスク。血栓防止用器具装着。点滴持続。禁飲食
手術後1日目:朝から食事がでる。採血、レントゲン。歩いて病室に移動。
       12時まで点滴。朝から胃薬、痛み止めの抗生物質が始まる。
手術後2日目:点滴はなし。頚には管(ドレーン)がついたまま。
手術後3日目以降:頚の管(ドレーン)が抜ければ、抜糸前でも退院。


午後9時に下剤を飲んだ。この下剤は即効性のものではなく朝になるころ効いてくるものだそうだ。
9時半消灯。テレビは11時までは見れるとのことだったので
この日に行われた野球の五輪予選「日本vs台湾」戦を観て興奮した。
テレビが消えてから寝ようとしたものの、他の患者さんのいびきと手術前の不安、慣れないベッド
ということで朝まで一睡もできなかった。

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