いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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バレンタインデーのちょっとほろ苦い思い出

今日はバレンタインデーということで、通勤途中のOLさんたちも装いが華やかだ。
(今はこのような日に着るものを”勝負服”と呼ぶんですよね)
手には紙袋を下げた女性が目立った。
おそらく、会社に持っていく義理チョコでも入っているのだろう。

こんな日は人々が浮ついて幸せそうに見える。
日本の商業主義から生まれた習慣であるものの人々が幸せに感じるのであればいいのではないかと思う。
おめかししている若い女性とは違って、初老のおばちゃんがバツの悪い日を迎えたという風の表情にも出くわしたので万人にとって気持ちのいい日でないかもしれない。

そんなことを考えていたら、遠い中学生の頃のバレンタインデーの日の出来事を思い出した。

忘れもしない中学1年生のバレンタインデーだった。
中学1年生と言えば、多感な時期であり、体育などで教室を空けたあと、
自分の机に戻ってきたらチョコレートとラブレターが入っているというようなことがある年頃である。
その頃から既に義理チョコなる習慣は始まっており、誰かが持ってきたチョコレートを
みんなで食べたりしていた。

午後の授業直後の放課後だったと思う。
いつもは担任の先生とちょっと元気のいい友達が話しをしていて、
その友人がチョコレートを食べていたことで、なにげなく担任の先生が

「学校でそんなもの食べちゃだめじゃないか」

と言い、かるくビンタした。どうも話しの流れがわからないもののかるくだったのでそう痛くも
なかったはずだ。
すると、そばにいた生徒も一緒に「おまえもか」ということでかるくビンタされた。
ここまではよかったのだが、

「他に食べたものは?」

と教室中に問いかけられたら大勢の生徒が集まって列を作った。
順番にビンタされているものの、先生はだんだん熱くなってきて、ビンタの強さがだんだん強くなり
ちょっと遅れて名乗り出た女性徒は着けていたメガネが吹き飛ぶほどだった。

実はそのとき僕もちょっとだけ(ほんの1粒程度)食べていたのだけれど、そのあまりのビンタの
すさまじさにビビってしまい列に並ばなかった。
わりと温厚な担任の先生だったけれど、あのときだけは常軌を逸して怒り狂った感じだった。

そのとき先生に何が起こっていたのかわからないが、言った内容は記憶に残っている。

「こんな習慣は日本の商業主義から無理やり作られたもの。
おまえらはそんなことで学校で飲食していいと思っているのか?」

みたいな論調だった。
そんな先生、今ではあまりいないと思うが、今でも心に引っかかっているのは、
自分がちょっとでも食べたのに、名乗り出なかったのをある友人が知っていて、
後になって

「おまえもちょっと食べたのにきたねぇ」

とつぶやかれたことだった。

例えるなら、ドラマ北の国から ’84夏”の名シーンで
純君が火事の原因になった自分の行為を言い出せなかった、あのときの純君の心境が
まさに、僕の心の状態だったのだ。
僕もあの有名なラーメン屋での名シーンでの純君みたいに、
どこかで泣きながらでも正直な気持ちを暴露できたらと思ってしまう。

毎年、バレンタインデーを迎えるたびに、中学1年生のときのちょっとほろ苦い思い出と
北の国から ’84夏”の純君の表情を思い出す。

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