いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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メキシコの青い空

1985年。

この年は8月12日に発生した日航機墜落事故があった年である。



そしてまた、この年は阪神タイガースがバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発を放って

21年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした年であり、

関西地方は空前のタイガーズの熱気に包まれていた。


この1985年10月26日という日はその阪神タイガース西武ライオンズが戦う

日本シリーズの第1戦が行われることになっていた。

運命の一戦は、日本中がそんなムードに包まれている中で行われた。




「東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、

メキシコの青い空が近づいてきているような気がします」


このあまりにも有名なNHKアナウンサー山本浩さんの

第一声でその放送は始まった。

1985年10月26日、W杯メキシコ大会アジア最終予選・日本対韓国。

国立競技場を埋めた日の丸と韓国の大極旗。ぎっしり満員だった。




解説は松本育夫さんだ。

日本のサッカー界が初めて身近に感じられるようになったワールドカップ

前日は興奮してなかなか寝付けなかった選手もいるという説明をしておきながら、

松本氏は「自分もそわそわしていますよ」と言ってる声がすでにうわずっている。



韓国はこのとき既にスーパーリーグなるプロリーグをスタートさせていた。

対する日本はまだアマチュア日本リーグの時代。

しかし、森ファミリーと称されたこのチームの団結力は一戦ごとに高まっているように見え、

この試合においては、日本はそれまでになかった秘密兵器の戦力を備えていた。



それが、読売クラブのテクニシャン、戸塚哲也ジョージ与那城の2人であった。

韓国がどこまでこの2人の情報をつかんでいるのか?

いやがおうにも期待は高まっていた。