いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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福岡、五島、長崎の旅(10)…育ての母に会いに行く

久しぶりにこの旅の続きを書きます。

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五島福江に着いたあとは友人宅に荷物を置いたあと、用事があるというので

友人の奥さんの実家の雑貨屋さんにお邪魔しました。

福江にもこんなおしゃれな雑貨屋さんがあったんだ。びっくり。

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それと下は友人が所有している土地だそうです。広大でびっくり。お城が建ちそうです。

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それから、僕のもうひとりの母(育ての母、実際は祖母の妹というつながり)が入院しているリハビリセンターに向かいました。

リハビリセンターと言っても実は老人ホームです。

1時間後に向かいに来るということで友人夫婦は一旦そこをあとにしました。


2年ぶりに再会しました。

今年、入院したということで心配していましたが、特に病気というわけではないので元気そうでした。

ちょっと足が弱くなったそうです。

部屋はここのセンターの理事長と親戚関係になるので奥のいちばんいい特別室だそうです。

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窓からは遠くに鬼岳(おんだけ)が望めます。

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しばらく田舎に帰らないでいると、帰ってから聞く話しは、

誰々が亡くなったという話しが多くなってきています。

ただ、悲しい話しばかりではなく、誰々に子供が生まれたとか、結婚したなんて話しも聞きます。




おばさん(育ての母)は、やはり僕が来るとうれしいのでしょう。

今後は呆けが始まるかもしれませんが、まだはっきりしていました。

僕は3歳ぐらいのときに、おばさんに預けられ、「おかあちゃん」と呼んで育ちました。



実の母親とは違い物腰が柔らかく結婚はしていましたが、子供に恵まれなかったため

僕の事を自分の子供のように育ててくれました。

高校を卒業して五島を出るまで、3世帯住宅で一緒に過ごしましたから親子のような関係です。



僕が小学校に入るちょっと前から実の母も合流して一緒に住んでいましたが、

僕はやさしいおばさんの方がよかったのでいつも隣に行って長い時間を過ごしていました。



すごく世話になっているのに数年に1回しか顔も見せず、電話を年に2、3回すればいい方なので

もっと親孝行しなければいけないと常々思います。

五島に里帰りするとヨーロッパに旅行するほどの費用がかかります。(飛行機乗り換えのため)

近い海外の方がよっぽど安いこともあって、なかなか帰省しないということもあります。

ただ、やはり世話になった人がこういう風に弱ってくると

頻繁に帰ってあげないといけない気持ちになります。

あっという間に1時間が経ちましたが、短かったので友人に30分延長してもらいました。

あす、また来ると言い残して部屋を出ました。

(つづく)