いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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ホーム国立の北朝鮮戦でサポーター流血

3年ほども更新が滞っていましたので続きを書きたいと思います。
前回からの続きです。


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結局、香港戦は観戦ツアーから帰国する日(1989/05/22(月))に決行された。
結果は0-0の引き分けに終わった。
初戦でアウェイということを考えればまずまずの結果だった。

次の試合は、アウェイ、ジャカルタでのインドネシア戦だ。

しかし、この試合も0-0で引き分けてしまった。

2試合を終わって勝ち点2、次のホームでの北朝鮮戦は
どうしても勝たなければならなくなった。


迎えたホーム国立競技場。

実はここで問題があった。
それは、この予選の組み合わせが決まるのが遅かったため、
国立競技場を会場として押さえるのが遅れたのだ。
同日には先に陸上競技が予定されており、
話し合いしたのだろう。
先に陸上競技を行い、その競技が終わった後にW杯予選を行うということになっていた。

(今では考えられないことです)


そして2時ごろだったでしょうか?
サポーターの入場が始まりました。
ここでまた、問題がありました。
この日はまだ国立競技場が座席の改修中でバックスタンドの1/3ぐらいが
使用不能となっていました。

それでも、今とは違ってW杯予選とは言っても観客が少ない時代ですから、
客席数は問題ありません。

この時代はまだバックスタンドが自由席となっており、
日本のサポーターはバックスタンドの真ん中で応援するのが常となっていました。
すると、入場前から列に並んでいた北朝鮮応援団(日本人サポーターよりも多かったと推定される)
がバックスタンドの中央を占拠して大きな国旗を振っているのです。

しかし、このとき、日本のサポーターと場所の取り合いが発生し、
しかも国旗まで振られたからか、さっそくサポーター同士での殴りあいの喧嘩が始まっていました。
片方だか両方だかわかりませんが、鼻血なのか流血戦です。
程なくして係員が駆けつけて取り押さえていましたが、
まさに、これぞ国際試合という緊張した場面でした。