学生のときの記憶というのは実に不思議なもので
授業で教えられた学問の内容はさっぱり覚えていないのに
たまに先生が脱線した世間話をするとそういう話しは今でもしっかり覚えている。
高校2、3年生のときの古典の先生に初老で真面目そうな紳士然としたN先生がいた。
そのN先生、普段はほとんどの時間を大学教授のように淡々と講義をしているのだが、
ときどきがらっと変わって世間話というか自分の趣味趣向のことを話す人だった。
そのN先生がよく言っていたのが以下のものである。
僕は最近のポピュラー音楽というのはどうも肌に合わないんで大体聴くのはクラシックですね。
「特にチャイコフスキーの悲愴がいいですね。
第三楽章で盛り上がっていくとこなんか最高ですね。
やっぱり、ロシアの音楽はいいですねー」
こういう内容の話しをどこのクラスでもしているようで、
うちのクラスで何回話したのか覚えていないのか?
この同じ話しを何度も聞かせれた。
しまいにはこんなことを言っていた。
「僕があんまり悲愴がいい、悲愴がいいというもんだから卒業した生徒から手紙が来ましたよ。」
「N先生、やっと悲愴の良さがわかりました。」
と、、、
ここでN先生にんまりして
「やっぱりわかる人にはわかるんだなー」
などとのたまっておりました。
そのN先生、他にもいろいろな話しをしていたけどこれが一番印象深いです。
それで僕もときどきチャイコフスキーの悲愴を聴くんだけれども
まだまだN先生の悟りの領域には入れず、
悲愴の良さはわかりません。
久々に聴いてみたくなりました。
悟りの境地にたどり着いたかな?