のんびりした田舎の小さな空港です。
今回の旅ではあまり写真など撮る気分ではありませんでしたが、
数枚は撮ったと思うんです。
しかし、のちに起こるスマホトラブルにより初期化したタイミングで消えてしまったかもしれません。
福江空港から福江の街へ向かうと高台から街の全貌が見渡せます。
いつ来てもなつかしさはあります。
そのまま葬儀場へ向かいました。
昔はお通夜は自宅でやって、葬式はお寺でやるのが福江のような田舎町の通常の手順でしたが、
今は都会のように立派な葬儀施設が2か所できているとのことでした。
遺体はその施設に安置されているというので、そのままその施設へ向かったのです。
車で10分もすると着きました。
すぐに安置所に行きました。
幾人かの親戚の人がその和室にはいました。
すぐにおじさんもやってきました。
どの便で到着したかと確認していると、なんと?福岡からの同じ便の前後の席に座っていたようなのです。
まったくお互いに気づきませんでした。
それから、遺体の顔を見せてもらって、お焼香しました。
正直、もう悲しみは通り越していました。
1年半前の危篤のとき、奇跡的に回復してこちらの声にも反応してくれていたので、
その後、容体が安定していた間、また帰郷して面会た方がよいのではないか?
そうしないと、また突然容体が急変して後悔することになるのではないか?
そういう思いを繰り返していた1年半でした。
もっと、頻繁に写真を送ってやれば良かったとか、普段から気にはなっていました。
一番気になっていたのは大学を出て就職したあと、帰郷したときに、
オーダーのスーツを買ってやりたいということで、20万円貰ったときのことです。
そのときは、オーダーのスーツなどそんな大金で作っても毎日会社に着ていくようなものでもないので
オーダースーツをオーダーすることはありませんでした。
本来なら、スーツを作って、それを着たところを写真に撮って送らなければいけないと気になってはいました。
それは、結婚したあともずっと気になっていて、そういうお店の前を通ると思い出すことが何度もありましたが、
踏ん切りがつかず、なかなかオーダースーツを作ることはありませんでした。
そういうときは、そのお金で作った喪服で葬式に出ることになるんじゃないかと最悪なことまで頭によぎっていました。
でも、今回、そんな時間的余裕もなく、既存で持っている喪服でした。
そういう悔いの思いみたいなものは、このときだけではなく、ずっと頭に残っていくものなので、
自分の招いたこういうことは自分の中だけで残ってしまうんです。
(辛い旅は次回に続きます)