いつも笑顔で!(「水平線の先にある夢」の続きブログ)

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Jリーグ20周年!

今日でJリーグ誕生から20年が経過した。

期待に胸を膨らませて国立競技場の観客席で涙ながらに見たあの開幕セレモニーから20年も経った。
月日の経つのは早いものだとつくづく感じる。



上の開幕セレモニーでスタンドの上からJリーグと参加10チームの旗が下がってくるあたりから
涙ウルウルになってしまったことを思い出します。

その前からラジオを聞いていましたが、セレモニー開始前からこの日に向けて長年準備していた関係者はインタビューにも答えられないほど号泣していたといいます。

本当に、それまでの閑古鳥の鳴いていた日本リーグのスタンドから考えると夢のような出来事でした。

開幕戦の感動、次の日に鹿島スタジアムで見たジーコハットトリックは今でも脳裏に焼き付いています。



この20年にはいろいろなことがありました。
開幕当初はチケットがプレミア化してしまい、売り場で喧嘩になったりしていました。

時代はバブルが崩壊して頼るものがJリーグしかない状況でしたので
さまざまな企業がJリーグにのっかってきました。

よく言われることですが、Jリーグの誕生はこれ以上ないタイミングだったということです。
Jリーグができる前はどうなるかもわからない状況なのに世の中はバブル景気で企業が潤っていたため
企業メセナとかでJリーグに投資する余裕があったので、資金が集まりました。
そして、Jリーグ開幕とともにバブルが崩壊したことによって、逆に企業側がJリーグ人気に頼るしかなくなったという幸運が重なりました。
1年早くても、1年遅くてもJリーグの成功はありえなかったというのがアナリストの見解だそうです。

さて、最初は引き分けなしVゴール、PK戦ありというルールで始まりました。
これはサッカーにまだ馴染んでいない国民にはいいルールだったと思います。
そして、その開幕年の秋にはあの「ドーハの悲劇」を経験します。

しかし、Jリーグの発足があったからこそ日本代表が注目されるようになり、実力もあがってきたのだと思います。
その4年後には見事に予選を突破してワールドカップ初出場を成し遂げます。

そのフランスワールドカップの年の秋でした。
Jリーグ最大の悲劇が起こりました。
横浜フリューゲルス横浜マリノスの合併による横浜フリューゲルスの消滅です。
その知らせを旅行先の沖縄で車のラジオで聞きました。
たしか、今帰仁あたりの道だったと思います。
連れ合いはフリューゲルスサポーターだったのでとてもショックでした。
今、家の中を整理していますが、フリューゲルスグッズがたくさん出てきます。
今度、機会あれば紹介したいと思います。(プレミアものですよね)



Jリーグでベストゴールを1つあげろと言われたら、やはりあのエムボマのシュートになります。




なかなか見ることのない超スーパーゴールだったと思います。
やべっちFCでも、あの試合ではないピクシーのゴールに次いで2位にランクされていましたね。

それ以外で、印象的なゴールというと大住良之さんもよく言ってますが、
福田正博のJ2降格決定後の悲しいゴールです。
90分で勝利すれば残留でしたが延長に入ったことで勝ってもJ2落ちが決定という状況。
ゴールを決めて悲しさのあまり泣いたシーンはあれ以外に見たことはありません。



20年経った今、開幕当初ほどではありませんが、スタジアムに行くととても熱心なサポーターの応援で盛り上がっています。
昔では翼君の漫画以外では考えられなかったような海外のビッククラブに移籍する選手も出てきています。
Jリーグも40チームを超えようかという規模になり、地域に根差したJリーグの理念に少しすつ近づいています。
100年構想はまだ夢の途中、これからさらに発展していって欲しいです。